立ちまはれ。
このすゞろなる物の音《ね》に
希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。
山|虔《つつま》しき木工のみ、
夢の裡《うち》なる隊商のその足竝もほのみゆれ。
窓の中《うち》にはさはやかの、おぼろかの
砂の色せる絹|衣《ごろも》。
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消《け》ぬ。
埋みし犬の何処《いづく》にか、
蕃紅花色《さふらんいろ》に湧きいづる
春の夜や。
朝の歌
天井に 朱《あか》きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙《ひな》びたる 軍楽の憶《おも》ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦《う》んじてし 人のこころを
諌《いさ》めする なにものもなし。
樹脂《じゆし》の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
臨 終
秋空は鈍色《にびいろ》にして
黒馬の瞳のひかり
水|涸《か》れて落つる百合花
あゝ こころうつろなるかな
神もなくしるべもなくて
窓近く婦《をみな》の逝きぬ
白き空|盲《めし》ひてありて
白き風冷たくありぬ
窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪《こぼ》れてありぬ
水の音したたりてゐぬ
町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
都会の夏の夜
月は空にメダルのやうに、
街角《まちかど》に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――
その脣《くちびる》は※[#にくづきに「去」、28]《ひら》ききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜《よる》の更《ふけ》――
死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
秋の一日
こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍《わだち》との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。
夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はも
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