詩集・在りし日の歌
亡き児文也の霊に捧ぐ
中原中也
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[表記について]
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在りし日の歌


含 羞《はぢらひ》
  ――在りし日の歌――

なにゆゑに こゝろかくは羞《は》ぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳《た》ちゐたり

枝々の 拱《く》みあはすあたりかなしげの
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ
をりしもかなた野のうへは
あすとらかん[#「あすとらかん」に傍点]のあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき

椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし

その日 その幹の隙《ひま》 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の 仄《ほの》燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ……


むなしさ

臘祭《らふさい》の夜の 巷《ちまた》に堕《お》ちて
 心臓はも 条網に絡《から》み
脂《あぶら》ぎる 胸乳《むなち》も露《あら》は
 よすがなき われは戯女《たはれめ》

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕《はら》めり
遐《とほ》き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇《しろばら》の 造化の花瓣《くわべん》
 凍《い》てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集《つど》ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形《へんりようけい》=聚接面《しゆうせつめん》そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ


夜更の雨
―ヱ゛[#底本はヱに濁点がついた1字]ルレーヌの面影―

雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
 と、見るヱ゛ル氏の あの図体《づうたい》が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。

倉庫の 間にや 護謨合羽《かつぱ》の 反射《ひかり》だ。
  それから 泥炭の しみたれた 巫戯《ふざ》けだ。
さてこの 路次を 抜けさへ したらば、
  抜けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?

自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈《ひ》なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈《あかり》の 腐つた 眼玉よ、
  遐《とほ》くの 方では 舎密《せいみ》も 鳴つてる。


早春の風

  けふ一日《ひとひ》また金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  女王の冠さながらに
 卓《たく》の前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます

  外吹く風は金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  枯草の音のかなしくて
 煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋《なよ》ぶ

  鳶色《とびいろ》の土かをるれば
 物干竿は空に往き
登る坂道なごめども

  青き女《をみな》の顎《あぎと》かと
 岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……




今宵月は※[#襄をくさかんむりにした字]荷《めうが》を食ひ過ぎてゐる
済製場《さいせいば》の屋根にブラ下つた琵琶《びは》は鳴るとしも想へぬ
石炭の匂ひがしたつて怖《おぢ》けるには及ばぬ
灌木がその個性を砥《と》いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色《べんがらいろ》の格子を締めた!

さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちてゐる、いやメダルなのかア
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやらう
ポケットに入れたが気にかゝる、月は※[#襄をくさかんむりにした字]荷を食ひ過ぎてゐる
灌木がその個性を砥《と》いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!


青い瞳

1 夏の朝

かなしい心に夜が明けた、
  うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
  さてもかなしい夜の明けだ!

青い瞳は動かなかつた、
  世界はまだみな眠つてゐた、
さうして『その時』は過ぎつつあつた、
  あゝ、遐《とほ》い遐いい話。

青い瞳は動かなかつた、
  ――いまは動いてゐるかもしれない……
青い瞳は動かなかつた、
  いたいたしくて美しかつた!

私はいまは此処《ここ》にゐる、黄色い灯影に。
  あれからどうなつたのかしらない……
あゝ、『あの時』はあゝして過ぎつゝあつた!
  碧《あを》い、噴き出す蒸気のやうに。

2 冬の朝

それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧|罩《こ》めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。
あとには残酷な砂礫《されき》だの、雑草だの
頬を裂《き》るやうな寒さが残つた。
――こんな残酷な空寞《くうばく》たる朝にも猶《なほ》
人は人に笑顔を以て対さねばならないとは
なんとも情ないことに思はれるのだつたが
それなのに其処《そこ》でもまた
笑ひを沢山|湛《たた》へた者ほど
優越を感じてゐるのであつた。
陽は霧に光り、草葉の霜は解け、
遠くの民家に鶏《とり》は鳴いたが、
霧も光も霜も鶏も
みんな人々の心には沁《し》まず、
人々は家に帰つて食卓についた。
     (飛行機に残つたのは僕、
      バットの空箱《から》を蹴つてみる)


三歳の記憶

縁側に陽があたつてて、
樹脂《きやに》が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭《には》は、
土は枇杷《びは》いろ 蝿《はへ》が唸《な》く。

稚厠《おかは》の上に 抱へられてた、
すると尻から 蛔虫《むし》が下がつた。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚《びつくり》しちまつた。

あゝあ、ほんとに怖かつた
なんだか不思議に怖かつた、
それでわたしはひとしきり
ひと泣き泣いて やつたんだ。

あゝ、怖かつた怖かつた
――部屋の中は ひつそりしてゐて、
隣家《となり》は空に 舞ひ去つてゐた!
隣家は空に 舞ひ去つてゐた!


六月の雨

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲《しやうぶ》のいろの みどりいろ
眼《まなこ》うるめる 面長き女《ひと》
たちあらはれて 消えてゆく

たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠《はたけ》の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる

       お太鼓《たいこ》叩いて 笛吹いて
       あどけない子が 日曜日
       畳の上で 遊びます

       お太鼓叩いて 笛吹いて
       遊んでゐれば 雨が降る
       櫺子《れんじ》の外に 雨が降る


雨の日

通りに雨は降りしきり、
家々の腰板古い。
もろもろの愚弄の眼《まなこ》は淑《しと》やかとなり、
わたくしは、花瓣《くわべん》の夢をみながら目を覚ます。

     *

鳶色《とびいろ》の古刀の鞘《さや》よ、
舌あまりの幼な友達、
おまへの額は四角張つてた。
わたしはおまへを思ひ出す。

     *

鑢《やすり》の音よ、だみ声よ、
老い疲れたる胃袋よ、
雨の中にはとほく聞け、
やさしいやさしい唇を。

     *

煉瓦の色の憔心《せうしん》の
見え匿《かく》れする雨の空。
賢《さかし》い少女の黒髪と、
慈父の首《かうべ》と懐かしい……




春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲《あが》る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸|摶《う》つた希望は今日を、
厳《いか》めしい紺青《こあを》となつて空から私に降りかゝる。

そして私は呆気《ほうけ》てしまふ、バカになつてしまふ
――薮かげの、小川か銀か小波《さざなみ》か?
薮かげの小川か銀か小波か?

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。


春の日の歌

流《ながれ》よ、淡《あは》き 嬌羞《けうしう》よ、
ながれて ゆくか 空の国?
心も とほく 散らかりて、
ヱヂプト煙草 たちまよふ。

流よ、冷たき 憂ひ秘め、
ながれて ゆくか 麓までも?
まだみぬ 顔の 不可思議の
咽喉《のんど》の みえる あたりまで……

午睡の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうへ?
うわあ うわあと 涕《な》くなるか

黄色い 納屋や、白の倉、
水車の みえる 彼方《かなた》まで、
ながれ ながれて ゆくなるか?


夏の夜

あゝ 疲れた胸の裡《うち》を
桜色の 女が通る
女が通る。

夏の夜の水田《すいでん》の滓《おり》、
怨恨は気が遐《とほ》くなる
――盆地を繞《めぐ》る山は巡るか?

裸足《らそく》はやさしく 砂は底だ、
開いた瞳は おいてきぼりだ、
霧の夜空は 高くて黒い。

霧の夜空は高くて黒い、
親の慈愛はどうしやうもない、
――疲れた胸の裡を 花瓣《くわべん》が通る。

疲れた胸の裡を 花瓣が通る
ときどき銅鑼《ごんぐ》が著物に触れて。
靄《もや》はきれいだけれども、暑い!


幼獣の歌

黒い夜草深い野にあつて、
一匹の獣《けもの》が火消壺《ひけしつぼ》の中で
燧石《ひうちいし》を打つて、星を作つた。
冬を混ぜる 風が鳴つて。

獣はもはや、なんにも見なかつた。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒涜を迎へて。

雨後らしく思ひ出は一塊《いつくわい》となつて
風と肩を組み、波を打つた。
あゝ なまめかしい物語――
奴隷も王女と美しかれよ。

     卵殻もどきの貴公子の微笑と
     遅鈍な子供の白血球とは、
     それな獣を怖がらす。

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻《くすぶ》る。
黒い夜草深い野の中で――
太古《むかし》は、独語も美しかつた!……


この小児

コボルト空に往交《ゆきか》へば、
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾《しぼ》る涙は
銀の液……

     地球が二つに割れゝばいい、
     そして片方は洋行すればいい、
     すれば私はもう片方[#「もう片方」に傍点]に腰掛けて
     青空をばかり――

花崗の巌《いはほ》や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……


冬の日の記憶

昼、寒い風の中で雀を手にとつて愛してゐた子供が、
夜になつて、急に死んだ。

次の朝は霜が降つた。
その子の兄が電報打ちに行つた。

夜になつても、母親は泣いた。
父親は、遠洋航海してゐた。

雀はどうなつたか、誰も知らなかつた。
北風は往還を白くしてゐた。

つるべの音が偶々《たまたま》した時、
父親からの、返電が来た。

毎日々々霜が降つた。
遠洋航海からはまだ帰れまい。

その後母親がどうしてゐるか……
電報打つた兄は、今日学校で叱られた。


秋の日

 磧《かはら》づたひの 竝樹《なみき》の 蔭に
秋は 美し 女の 瞼《まぶた》
 泣きも いでなん 空の 潤《うる》み
昔の 馬の 蹄《ひづめ》の 音よ

 長の 年月 疲れの ために
国道 いゆけば 秋は 身に沁む
 なんでも ないてば なんでも ないに
木履《ぼくり》の 音さへ 身に沁みる

 陽は今 磧の 半分に 射し
流れを 無形《むぎやう》の 筏《いかだ》は とほる
 野原は 向ふで 伏せつて ゐるが 

連れだつ 友の お道化《どけ》た 調子も
 不思議に 空気に 溶け 込んで
秋は 案じる くちびる 結んで


冷たい夜

冬の夜に
私の心が悲しんでゐる
悲しんでゐる、わけもなく……
心は錆びて、紫色をしてゐる。

丈夫な扉の向ふに、
古い日は放心してゐる。
丘の上では
棉の実が罅裂《はじ》ける。

此処《ここ》では薪が燻《くす
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