の時 時は 隔つれ、
此処《ここ》と 彼処《かしこ》と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝《かは》らぬ かの 黒旗よ。
蜻蛉に寄す
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉《とんぼ》が 飛んでゐる
淡《あは》い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕陽にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲《しやが》んで 石を拾ふ
その石くれの 冷たさが
漸く手中《しゆちゆう》で ぬくもると
僕は放《ほか》して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く
抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎《な》えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕陽に霞《かす》んで みえてゐる
−−−−−−−−−−−−−
永訣の秋
ゆきてかへらぬ
――京都――
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々|揺《ゆす》つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日|赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車《うばぐるま》、いつも街上に停《とま》つてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団《ふとん》ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその空には銀色に、蜘蛛《くも
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