》りながら、親の足を噛る事も当節はなかなか素人の考える位い容易な仕事でもないそうだが、様々の苦労を尽している次第である。
ともかく画家は封切りのために働く処の給料なき役者でもある。そして画家は何が何んでも封だけは切って見せたいという本能を持っている。
ところで、一度封を切った作品はも早や古手となってしまって二度の勤めは嫌がられる傾向を持ったりするので、勢いその絵は小品ならば万一にでも生活の一助とならぬ事もないが、大作であったりしては、画室で埃《ほこり》をあびて重ねられて行く。従ってただ一回の封切りが画家の生命ともなりつつある事は芸術のために喜ばしき現象とは思えない。
一九三〇年型の自動車の出現は去年のぼろ自動車を広場へ山積せしめるであろう如く、即ち近代の洋画家はその場限りの技法の華々《はなばな》しき効果をのみ考えはしないだろうか。これは近代の生活の様式と展覧会の組織と、画家の心との間に連関する処の悲しき連関ではないかとも思う。近代絵画に対するこれは私の持つ重大なる不安でもある。
さて私は、近代の新らしい油絵はどうして描けばよいかという事については一切述べなかったようである。しか
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