とか何々と称するに到るものかも知れない。
 中には俺《お》れは狐だとは思っていないのに狐の部に入れられて内心困っている者もないとはいえないだろう。
 要するに画家が絵画に対する本当の心の動きは、それは本能の動きであり、何の理由もなく、ただ次から次へと、貪《むさぼ》るが如く新らしいものが描きたいというに過ぎない。強い制作力ある画家ほど、飽きやすく、貪慾《どんよく》にして我儘《わがまま》である。
 古人はよく九星とかいうものによって人の性格を定めて見る事をする。私はよく知らないが、九紫《きゅうし》はどんな性格であり五黄《ごおう》の寅歳《とらどし》の男女は如何に意地強きかといったりする。その星の強さというものに似たものを、私は画家の性格のうちに見る。本当の自個をよく生かす画家の星の強さは他の凡百の弱き画家の上に作用して皆|悉《ことごと》く自分と同じ真似《まね》をさせてしまう。自分の流感を他人の全部へ感染させるが如きものであり、感染するものこそ弱き星の性格者であり自ら好んで感染してしまうのである。
 性慾の本能が常に同じものを嫌い、常に新らしきものを要求し、それを得てまた更に更新してその終る処
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