を琵琶歌《びわうた》を以て申上げる事も六《む》ずかしいのである如く、あの粘着力ある大仕掛にして大時代的な、最も壮大であった時代を起源とする歴史と組織を有する処の、ミケランジェロやルーベンスを生んだ処のその武器を持って、戦いに出る事は、近代以降の人間にとってかなり憂うべき十字架となりつつありはしないかとさえ考え得るのである。
だがしかし、今私はさような事を述べる場合ではない。われわれは近代人がこの技術を如何に処理し如何に組織を改めたかを知らねばならぬ。
全く、西洋においても、十五世紀以来、多少の変化はあったとしても大局から見て絵画は立派な老舗《しにせ》の下敷となって退屈を極め出したのである。その結果近代のフランスにおいて、とうとう印象派が起り、次に後期印象派が起り、キュービストとなり、構成派となり未来派となり、ダダとなり、あらゆるものが次から次へと勃興《ぼっこう》した事は、一つには退屈と衰亡に際する一種の死の苦悶《くもん》から湧き上った処の大革命であったに違いない。
それらのいろいろの主張や主義や、団体は、幸にして油絵の組織を悉《ことごと》く変化させ、あるいは暴動に似たイズムさえ各
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