は思う。
 しかしながらまた、よほど以前の浮世絵師の手になる挿絵に私は全く感心する。人物の姿態のうまさ、実感でない処の形の正確さ、そして殊に感服するのは手や足のうまさである。昔の浮世絵師の随分つまらない画家の描いた絵草紙類においても、その画家の充分の努力を私は味《あじわ》い得るのである。そしてかなりの修業を積んでいると見えて、その形に無理がなく、そして最もむつかしい処の手足が最もうまく描きこなされている事である。
 手足のうまさの現れを私は昔の春画において最も味い得るものと思う。あれだけの構図と姿態と手足を描くにはちょっとした器用や間に合せの才能位いでは出来ないと思う。かなりの修業が積まれている。
 挿絵のみならず、油絵や日本画の大作を拝見する時、その手足を見ると、その画家の技量と修業の深浅を知る事が出来るとさえ私は思っている。かく雑然と書いていると長くなるので擱筆《かくひつ》する。

   画室の閑談

     A

 京都、島原《しまばら》に花魁《おいらん》がようやく余命を保っている。やがて島原が取払われたら花魁はミュゼーのガラス箱へ収められてしまわなければならぬ。しかし、花魁は亡《ほろ》んでも女は決して亡びないから安心は安心だ。
 芸妓《げいぎ》、日本画、浄るり、新内《しんない》、といった風のものも政府の力で保護しない限り完全に衰微してしまう運命にありそうな気がする。
 油絵という芸術様式も、これから先き、どれ位の年月の間、われわれの世界に存在出来るものかという事々を考えて見る事がある。如何に高等にして上品な芸術であっても人間の本当の要求のなくなったものは何によらず、惜《おし》んで見てもさっさと亡びて行く傾向がある。
 大体、人間が集って、何となく相談の上芸妓を生み出し、人間が相談の上、浄るりを創《つく》り、子供を生み、南画を描き、女給を生み、油絵を発明させたように思われる。油絵が岩石の如く人間発生以前から存在していた訳ではない。
 全く、如何に花魁は女給よりも荘厳であるといっても、我々背広服の男が彼女と共に銀座を散歩する事は困難だ。今やすでに、現代の若者が祇園《ぎおん》の舞妓《まいこ》数名を連れて歩いているのを見てさえ、忠臣蔵の舞台へ会社員が迷い込んだ位の情ない不調和さを私は感じるのである。
 この芸術こそ再び得がたいものであるが故に保存すべきものだと話し
前へ 次へ
全81ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング