の中でもはなはだ不安定な極楽だと思えてならない。なぜだかわれわれ絵描き渡世するものにはよくわからないが、どうも安定な感じだけはしないことは確かだ。私等の仕事の絵画の構図と構成は第一の条件として安定を求めている。そして統一である。昔から天地人といって、少々先端的な例ではないが、天地人の構図はあらゆる方面にも用いられている構図の基礎である。
 色彩においても調子においても、画面の全面にわたってその軽重濃淡配置よろしき時絵画は仕上がり、人はその画面に向かって安心して見ほれることが出来る。機関車、飛行機、軍艦の安定は絵画の調子の安定より以上に必要だろうと思う。調子、色彩、リズムの不整頓な絵画を見せて死傷者を出した展覧会というものはない。
 しかしながら明治以来われわれは単位のまったく違った文化の将来によっていわゆる過渡期という年代があまりにも永く続いているので、極楽は不安定なものだとさえ習慣によって思ってしまうようにさえなりつつあるような気さえする。だが一枚の絵でさえも調子を合せるに一〇日もかかることがあるし、構図の安定に幾日間を費やしてなおまとまらないのだから、この極楽世界の混乱をパンやゴムで消して見ても、何時仕上がるか見当がつかないかも知れない。
 とにかく家庭、建築、人情、風俗、生活の形式、儀礼等がある年代を経て工夫統一され、よろしき調和を現して滑らかに進行している時代ではその生活、風俗、浮世の雑景はそのままにどの一角を切り取っても画面に絵としてのよろしき構図を形造るものであり、それがためについその風俗、生活の有様が画家の絵を作る本能を都合よく刺戟する。
 由来、画家というものははなはだ本能的な存在であって、描くに足るだけの対象物に出会うとどうあっても描いてみたいので、そこに理由や理屈を見出しているのんきな寸暇が見出せないのである。それは恋愛としかしてそれに続く性慾の性急にも似ているといっていい。そこに何か不都合な障害があってそれを描くことが差し止められると神経衰弱的傾向を現し自狂的となりやすい。
 だから安定にして統一ある生活の美しさがあれば、画家は直ちにその生活を描くにきまっていると思う。近頃の戦争文学にしてもがそうである。世界大戦の休止して約十年の後人間はやっと戦争を芸術として味わうだけの安定を得たのである。日本では関東大地震の名画はまだ現れない。
 生活の天地
前へ 次へ
全81ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング