買って待たせておいた自動車へ埋まり、銀座へ出て、ハンドバックを買ってやるかも知れない。
その訳でかどうか知らないが、あの幾百枚の油絵の中で、何点が見知らぬ人に買われて行くかを注意して見ると、全く驚くべき少数のものが引取られるのみである。東京はまだいい、大阪での開催中において、毎年一枚かせいぜい二枚か売れて行くだけであると云うと何か嘘のような、税務署への申告のような話だが本当なのだ。それも調べて見ると何かの縁につながれたる人情を発見すると云う有様である。
だが展覧会は売る為めの仕事ではないと云えば又それまでの事ではあるが、画家の一年中の代表作が売れて行く事は悪い現象でもあるまい。
だが近代の展覧会はいよいよ形が壮大となり、秋季大興行の一つとなって来つつある。そして近代の画家は一年中、食物と戦いつつ若き男女の漫歩に適するハイカラなる背景を無給で製造している訳でもある。何千人の人達が散歩して了い画界の潮流を示して了うと直ちに引込めてあとは画室の納屋へ永久に立てかけておく。
せめてそれでは、入場者が全国野球大会の一日分位いでもあって、その五十銭の入場料の配当にでも出品作家が預かればまず生活の一部分は救われるだろうが、現在の如き程度であっては、展覧会は来年度の開催が保証されれば幸福と考えねばならない次第だそうである。
そこで現代の若き作家は商品見本を秋に示し、一年間は潜行して画商と、番頭と、作者を兼業しつつ多忙を極め、なるべく嫌らしく立廻って漸く生存する事が出来るだろう。
* * * *
だが、画家の絵を作りたがる心根は又いじらしいものである。如何にいじめられ、望みを奪われ、金が無くとも、ただ絵が描き度いという猛烈な本能に引ずられて、我々は仕事をしているために、決して画家は如何に条件が悪くとも、怠業をしたり示威的な行動を起したりはしない。何んだって構わない。自分の一年中の仕事の封が切って見せたくて堪らないのだ。たれかの背景となりたくて堪らないのである。だから画家が不出品同盟とか脱退とかいって怒るのは、必ず鑑査に関する時か、自己の名誉、権力についての時ばかりだといっていい。それが芸術家の性慾だ。
全く画家の製作慾も、性慾そのものよりも強い。性慾は制限すれば健康を増すが、画家から筆を奪うと彼は病気になる。
さて、展覧会では絵画は背景であり、見本市場であり、競争場
前へ
次へ
全81ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング