慮に入れて、価格を定めつつある。すなわち一号を何円と定める、一号を仮に一〇円とすると一〇号の大きさの油絵は一〇〇円であり、一号を二〇円と定めると一〇号が二〇〇円になるわけだ。
さて各自が勝手な市価だが現在では大体において一号五〇円以下では決して売らないという大家もあり、なおそれ以上彼らを眼下に見下ろして俺は国際的の御一人だから一号三〇〇円以下では売らないといったりすることもあるようだが、内実はいかに相なっているかそれは素人にはわからない。しかしまず常識的な画家の相当の作品は一号一〇円から五〇円の間を低迷しているように私には思える。
さて、現代画家でもっとも高く、もっとも多くの自作をもっとも手広く売り拡めんがためには、金持ちの応接間はことごとく上がり込むだけの勇気と、手打ちうどんの如き太き神経を必要とするだろう。自分で絵を作り価格を考え、外交員ともなり、自個の芸術的存在を明らかにし、その作品のよろしきものだという証拠の製造もやるといえば、まったく精力と健康も必要だろう。それで本当にいい作品が出来れば幸いだが、天は二物を与えずともいわれている。
それらの健康と太き神経なく、金持ちの応接室と聞いただけでも便通を催すという潔癖なる神様で、パトロンも金もなかったら、この現代ではいかに善き作品を作っても、作れば作るほど、食物が得られない。さてパトロンなるものも左様に多く転がって存在するわけでもなく、万一あったとしても、それはかの愛妾達がする体験を画家もやってみねばならないことであり、神経が尖っていれば辛抱は出来ないだろう。
近頃、研究所へ通う多くの画学生達や展覧会への相当の出品者達で本当に何もかもを打ち捨て、絵に噛りついているという人達の存在がいよいよこの世では許されなくなって来たものであるか、必ず何か他に余業を持っている人達が多くなって来つつある如く思える。新進作家にして同時に小学校の訓導であり、百貨店の宣伝部員であったり、図案家であったり、会社員であったり、ヱレヴェーターボーイであったりする。今にバスガールや女給で相当の出品者を発見することになればそれも面白いと思う。
日曜画家という名が現れている。すなわち日曜だけ画家となり得る生活を持つところの半分の神様すなわち半神半人の一群である。これらはまったく芸術とは関係なき仕事においてわが臓腑と、妻子を養いつつ日曜は
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