して左様ではない。ただ妙な関係で絡みついて了って一と思いに殺して了う訳にも行かない処のものが生れたりなどするのである。
本当のお産だってそうだ。一年間も母親は苦しんだ上、命をかけて生み落した筈の其子は、必ず上等であるとはきまっていない。でも自分達夫婦の分身であり、母親は命をかけた関係上、実は人間よりも狸に近いものであるに拘らず、ふとんや綿で包んで大切にしている。
それを吾々他人が、一寸綿の中を覗いて見ると、全くの狸であり、昆虫であり、魚である場合が多いのだから悲しむべき事である。
殊に、不具や低能児を抱いている母親の愛情などは又格別のものであるらしい。
絵だってその通りで、私は三年間を此作品に捧げたとか私の霊魂を何んとかしたとか、私は神を見たとか云うふれ出しだから、一体どんなものが現れたのかと思って見ると神様が狸であったり、霊魂が狐であったりする場合の方が多いのだ。
もし、本当の事ばかりを不作法に云う批評家があって、命をかけて抱いているその赤ん坊を一々、おや鯛だね、おや狐でいらっしゃいます。お化けかと思ったと申して歩いたら、全くそれは一日も勤まらない処の仕事であるかも知れない。心ではいもむし[#「いもむし」に傍点]だと思っても、そこは女らしいとか、まア可愛いとか、天使の様だとか、何んとか馬鹿気た讃辞でも呈して置かねばならないものなのである。
処で私自身、全く私は命をかけつつ、そして殆んど無収入で以て、しかも日々難産をつづけ、其奇怪なる昆虫を生み落しつつあるのである。そして人間の情けなさは馬鹿な母親の如く、いもむしや狸にも似た我が子の眼玉へ接吻したりなどする事になる。
然し、私は、不幸な事にも接吻し乍らも変な顔をしていやがるなと、心の底では思っている。然しその子は何かの因縁とか因果の種とか云うべき怖ろしいものだとあきらめて抱いている次第である。
処が此の変なものを生み出す為めの難産には随分の体力が必要である。私が一番情けなく思うのはこの体力の不足である。
殊に油絵と云うものは西洋人の発明にかかる処の仕事だけあって、精力と体力とで固めて行く芸術だと云っていいかと思う位いのものである。神経の方は多少鈍くとも油絵の姿だけは出来上るものだと云って差支えない。
私は、日本人全体が西洋人程の体力を有っていない事を認めている。それは性慾や食慾に就いて考えても同様
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