でに至る事は随分の辛棒《しんぼう》が必要だった事である。勿論昔は絵具の練り方作り方が一つの修業でもあり、画家の職責でもあった。
日本画も絵具の溶き方においてとても六つかしい秘伝さえある様子である。
ところが近代にあっては、絵具は専門の会社において科学的に製造される事となってしまったため、画家はただそれを使用さえすればよいのである。画家の修業におけるかなり重大な部分が、引離されてしまった訳である。
画家はただ自分の本当の仕事だけをやればよい事となってしまった。勿論日本画家のあるものは今もなお絵具の溶き方にかなりの修練をやっているようであるが。
従って今もし画家の家へ年期奉公をしたとすれば雑役以外にする仕事がない。
この点からいって、今の時代では入門に先き立って人の心を養って置く方が得策だ。それには丁度|幸《さいわい》な事に普通学というものがある。
それから、昔は西洋でも日本でも先生各自の流派というものが非常に重《おもん》じられ、心そのものよりも画法というものを重大に考えた。
その画法には秘伝があり、描くべきものには必ず厳格な順序がありその軌道に従って描くのである。その法軌から離れた事、勝手な事をすれば破門されるおそれがある。
従ってその方則を習うだけでもかなりの年数がかかる訳であった。従ってかなりの子供のうちから稽古しなくては到底充分の修業が出来ない事だったらしい。
一人前の心を持った大人となると自分の心が自分に見えて来る。そこで柔順に先生の方則、流派の型など馬鹿々々しい仕事を習得してはいられない。そこで何もわからぬ子供時代においてあらゆる馬鹿々々しい仕事を習練させたものでもある。
ある流派、先生の型、をうけ継ぎ受け継いだ結果生き生きとした画人が西洋でも日本でも出なくなり、世の中が人間の心は、即ち画人の心は、心にもない方向へ方向のわからぬ乗物によって引きずられた結果、生き生きとした画人が西洋でも日本でもすっかり出なくなり世の中が萎《しな》びかかって来たものである。そして十九世紀の終りから二十世紀の初めにおいて非常な勢となって近代の自由な明るい気ままな人間の心を主とした処の画の方則が現れ出したのである。
それは飽き飽きした結果誰れいうとなく現れ出した人間の本音である。
即ち近代の絵の技法は人間の本音から出発しなくては面白くないのである。
本心本
前へ
次へ
全81ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング