ないのだ。
 早がきばかりでない、近頃は早がきの上にモティフを見ないで作画をする乱暴な風習も随分増加して来た。これはかなり困った風習だと思う。一寸見は大変面白そうなものでも少し眺めていると、ガタガタに下落して見える絵は主にこの種類のものに多いのだ。それも非写実的な構成的なものならともかくもかなり写実を目的としてある絵でありながらモティフを見ないで作画することは、まったく写実と夫婦になったようなもので決して子供は生まれないであろう。
 私はフランスにいる時に随分、これはまた無数に存在する早がきの絵を見て飽き飽きしていた時、ふと坂本繁二郎氏の画室を訪ねて氏の絵を見せてもらって、私はこの人の絵の気合いにすっかり同感してしまったことを覚えている。今年は珍しく坂本氏が十数点程出されているので私は会場のたまらない空気に煩わされた時々に、氏の絵を眺めに行って気分を直した位である、まったく坂本氏のようなたちの絵は目下の日本にはぜひ必要だと思うのである。
 予選の後、本鑑査の時でもむろん通るべき作品は別として、一番われわれが苦しむのは、何としても形だけはあるが気合いが出かけて出ないヤヤコシイ作品である。
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