とだから金の出よう道理もありません。翌日は、フランス語の達人と正宗氏などとともに出かけて、銀行の支配人に会うて一応談判はしたが、銀行の責任にはならないという結論になって引き退がったのです。
どうだもう何もかも諦めて、せめて、イタリアの国境なりとも見に行こうかということになりまして、ある日三人ばかりの連中で、カーニュから汽車で三○分ばかりのマントンへ向かいました。マントンは美しい古風な港です。海岸から乗合馬車に乗って、地中海を眺めながら二○町余りを走るとそこがイタリアへの国境でした。さあよく見ておけ、ここから先きがイタリアだと連中がゴチゴチの岩山を指しました。ナルホド、イタリアかなァと思ってよく眺めました。そこには石造の橋が境界の谷間に架かってあって、その上には、兵隊さんが一人立っていました。イタリアだけあって、その辺にはもうギターを持った老人の物乞いが何か歌っているのでした。[#地付き](「みづゑ」大正十二年一月)
鑑査の日
会場へ搬入された夥しい絵が、女達の手によって十枚位ずつ、われわれの前に運ばれて来る、そしていいのは予選の部に入る、何としても見込みのないのは落ちてしまうのだ。
なかなか思ったほど、世の中には隠れた天才とか、奇蹟的に優れたものとかいうものは、やはり沢山はあるものではないのだ、一目見るとすぐわかる程度のものが多いのである。
今年なども随分、一目でわかる程度のものが多かったのでまったく少し厭になったこともある。何枚見ても、何枚見ても一向われわれを喜ばせてくれないのだ。審査員という役目は絵を落とす役目では決してないのだと私は思っている、いい絵を探し出す役目を勤めているのだ、だから少しでもいいものが現れるとわれわれは喜ぶのだ、いいものが続々と現れ出す時は、皆が椅子から総立ちとなるものだ、まったくわれ知らず立ち上がってしまうものだ。そして目付きが輝くのだ。
また出来不出来にかかわらず、大作とか力作が続いて運ばれる時なども昂奮してうれしくなってしまうものだ。ところがその反対に六号とか八号の粗末ななぐり描きとか、いじけたものなどが何十枚と続いて運ばれる時には、まったくわれわれは悲観して退屈をさえ感じるのだ。退屈するとすぐ会場の猛烈な暑さを感じ出す。ガンガンと響く会場の大工の金槌の音がいやに聞こえ出すのだ、むせ返る濁った空気が堪らなく咽喉を痛めることを考えるのだ、逃げ出したくなるのだ。人は案外正直なものだと思う。ことに絵描きは善人が多いのだ、いいものにはすぐ感じさせられるのだ。いかに口さきで俺は嫌だとごまかしても心のどこかに好いていれば、その心の底の好きが誰の目にもつくものだ。嫌いで押し通せないものだ。
審査員は他人の絵の気合いにかけられるべく並んでいるようなものである。いい絵には気合いがある。大作でも小品でもどんな様式の絵であっても作者の気合いのある絵は強い。
強い気合いを持つ絵はどっしりと置かれてビクとも動かない。もし仮に審査員のうちにあるやましい心から、これを落選させようとたくらむ者があったとしても、それは気合いが許さないであろう。また反対に気合いの抜けた絵を何かの都合から入選させようと一人があせっても、それは駄目なのだ、他の何人かはそんな気合いを認めていないのだから。しかしながら気合いの代りにその都合を認めねばならぬということが万一あったとしたら、それは大事だ、考えても馬鹿らしいことである。要するに、出品者の絵について今年など特に感じたことは、あまりに二科へ出すとか展覧会とか入選とかその結果などばかり考えて描かれたかと思われるような絵がかなり多かったようである。
したがって目につくことは早がきの慌てた絵の多かったことだ、これは近頃輸入されるフランスの絵に早がきの傾向が多いのでその影響かとも思うが、いったい早がきというものは略したものである、省略である。本当のことを知らずに省略は出来ないのだ、知らぬものを省略することは零以上にすることだ、マイナスになってしまうのだ。
フランスの絵に略画が多いのはそんな画風が多いことにもよるが、また一つには、西洋人の画界は日本の洋画界よりもよほど商売として成り立っているのでちょうど日本画家の半折画といった調子のことをやるのだと思う。例えば満洲辺で鉄斎の半切画を一枚見て感心し、鉄斎はいつもこればかりやっているのだと早合点するようなもので鉄斎はもっと力作もやれば、随分綿密な青緑山水の大幅もやるのだ。すべて技術の奥にまで達した人は機に臨み変に応じてどんなことでもやるのだから、その一斑を見てすぐ今のフランスは早がきだと思い込むことはどうかと思う。そして技術がないことからその早がきはほんとに味なく潰れてしまっているのである。入選のうちにもこの種類はあるが私はあまり好ま
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