ん。美人の裾からはチラチラと毛だらけの尻尾がブラ下がっているのです。
狐も初めは偶然の思い付きで女に化けてみたものが、ついにはその化け方について苦労をしなければならぬことになって来るのです。化ける興味を本職にやりだしたものだから、こうなってくるのは止むを得ません。そのうちにはある様式を守る集団のいくつかが現れ、一方は王子に一方は伏見にという具合に集まります。そして化け展とか何とかいうのを開催して、この道の進歩発達を計るということになります。そしてお互いに奴らの芸術は何だといい合います。狐の世界もまた多事であります。
これらも皆真似ることの興味がいろいろと変化して、ヤヤコシクなったものだろうと思います。真似ることの興味も善い意味に使われた場合には人を楽しませるものですが、これが悪用されると大変迷惑を与えます。
お姫様を喰ってしまってそのお姫様に化けすましたりなどすると、霊鏡に照らされて本性を見破られたりします。或いは贋造紙幣を製造したりする男が出来たり、或いはドランの絵を写真版からコピーして展覧会へ持ち出したりします。その他自分を偉く見せるために、支那の及びもつかぬ聖人の真似をしてみたり、若いのに老人の真似をして通がってみたり、そしてひそかに自己の性慾の強きを嘆いてみたりする悲惨なものも出来て来るのです。
昔の支那の画家の作にはよく何々の筆意に倣うなどと断ってあるのがありますが、あれは大変気もちのよいものであります。日本の油絵なども(油絵に限りませんが)これを一々断り書きをするようにしたら批評家も、一々霊鏡を持ち出す面倒が省けてよろしいのですけれども。
しかしながら当今は狐の威力の方が強いので、霊鏡はいつも曇りがちで、なお田舎の散髪屋の鏡同様凸凹だらけのものが多いので、あまりあてには決してなりません。[#地から1字上げ](「アトリエ」大正十三年十二月)
アトリエ二、三日
日記などつけたことがありませんので二、三日間の思い出した事柄をちょっと記すことにいたしました。どうも阿呆な話ばかりで相済みません。これでは困る、というような恐れがありますならば、どうか容赦なくお捨て下さい。
A日Rが戸口へ現れました。長い頭の毛をモシャモシャと引掻きながら「奈良までは奥さん電車賃はいくらですかね」と聞きました。さあなんでも五○銭位と思いますがと答えると「そうですか、すると……」と彼はコール天のズボンから銅貨銀貨を一掴み玄関[#「玄関」は底本では「玄間」]へずらりと並べました。そして一○、二○と数え出しました。「どうも少し足りないんです、奥さん」。はァなるほど、足りませんナ、奥さんは財布から一円出しました。
「こんなに沢山はいらないんですが」と彼はまた頭の毛を引掻きながら金を寄せ集め、ポケットへ捻じ込んで駆け出したそうです。多分ちょっと飲むために。
B日、広島から二、三度手紙を寄こしたMというのが突然訪れて来ました。まさか唐突にやって来まいと思っていたのが、やって来たのです。白い毛糸の頸巻きをして広島土産の蠣を籠に一杯ぶら下げてぼんやり立っています。大阪には親しいものは一つもないのだそうです。僕の家は二階は一間切り、それも画室になっているし、階下は家のもので占領されていますし、とうてい書生を収容する空間は一つもないのです。Mは夜汽車の睡眠不足と画室のストーブの温かみとで、頭が痛いといい出しました。
下の部屋は子供が熱を出して寝ているんですが、その隣りへ寝かすことにしました。僕は猫の子が一匹迷いこんで来ても、かなり神経を悩ますのですが、人であってしかも田舎の語で意志もよく通じかねるのですから、これにはまったく弱りました。
C日、T君が朝やって来ました。この人四十歳位です。もと商売と俳句を兼ねてやっていたもので評判の好人物です。この頃は、また殆ど絵に熱中しているものですが、以前俳人であっただけに何でも気分を味わったり、吸うたりするのが一番好きらしいのです。それでいて、いつもふさいだ顔つきをしています。それは、大切の子供をなくしてからだろうといいます。そうかもしれません、気の毒なのです。
一年程以前には洋画の材料屋の気分を味わうために、いい場所にちょっと気の利いた家を借りました。開業宣伝のため階上階下に院展の人達の小品を陳列しましたので行ってみますと、下も二階もシンと静まり返っています。これはまた閑寂な展覧会だと思って、二つ三つ絵を眺めていますと、二階から女の笑い声がドッと聞こえて来ました。オヤ、と思って二階へ駆上ってみますと、T君は場所柄だけに遊廓[#「遊廓」は底本では「遊廊」]も近いので、馴染みであった美人四、五名を招待して絵を見せているところです。T君、その中に収まって、展覧会の気分をあくまで吸っているのでした。なか
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