した。
 二月のある日日本からの手紙を受け取ったので開いてみると普通の手紙の中から為替の副券が飛び出しました。手紙の文句によると、本券はよほど以前に書留でもって発送したが受け取ったかと書かれてあるのでした。しかし僕はそんな覚えはないのでこれは必然、何か便船の都合か何かで前後したものかくらいに思って気にも止めなかったのですが、何しろ旅を急ぐものだからこの副券で金を引き出そうと考えたのでした。金は当時の相場に換算して一万フラン余りのものであったのですから、大いに元気づいたわけです。近くのニースの町にあるパリの銀行の支店へ出かけ、その帰途クックへ寄ってイタリア行きは一等の寝室でも予約してやろうぐらいの意気込みで出かけたのです。
 変なことのある時には予感というものがあるものですね。ニースの町へ到着して銀行の正門を入ろうとすると、門衛は鉄の戸をピタッと締めてしまったので、僕は思わず「何でヤ」とウッカリ大阪弁を出したのでした。この大阪弁がフランス人の門衛によく通じたものとみえて、時計を指さして示しました。見るとちょうど四時なのでした。ナルホドと思って引退がって帰りました。翌日は今日こそと思って昼めしを早くさせて慌てて行ってみたら、今日はまだ二時であるにかかわらず正門は閉ざされてあるので、これはまたどうしたのかと思って聞くと、今日は土曜日だというのでした。ナルホドと感心してまた引退がったが少し腹が立ちました。考えてみると、その翌日は日曜日に当たるのです。心細くなります。ようやく月曜には早朝から出かけたら、さすがに銀行は開いていましたが、一応パリ本店へ問い合せるから二、三日待てというのです。再び退屈きわまる三日を過ごして行ってみると、この金額は一月十何日に為替の本券を持参におよんだ者へパリ本店において支払ってしまったというのです。普通でさえ、なかなか口へ出ないフランス語が、ドキッとすると同時に一言も出なくなってしまいました。しかし一月十五日頃僕はパリにいなかった、カーニュにいたということだけ辛うじて発音して、あとは無言のまま再び引退したのでした。それはいいとしてもイタリア行きはどうなるのです、その金は日本へ帰る旅費までも含まれているのですから少なからず弱りましたね。オテルへ帰ると、近火でもあったように見舞いに集まるものがあるやら騒ぎです。しかし何しろ消え去ったのが一カ月も以前のこ
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