なか立派に出来ましたな、というと、ええあまり入場者もやって来まへんさかい、かえって静かに観賞が出来てよろしゅうおます。なア、思うたよりエエ展覧会[#「展覧会」は底本では「展観会」]やろがな、と芸者達の賛同を求めますと、いつもベストコダックでも提げて歩いているという新しいのが、ほんまにエエ気分だんな、と賞賛しました。
その後、これでは店の宣伝にもならんということが明らかになりましたので、僕に二科の若い人達の小品展覧会でもしてもらえまいかとのことでした。会場は小さくて感じがいいので、僕と鍋井とで何とか世話をすることにしました。
その結果はすこぶるよかったのです。五、六日間にちょっと千人近い入場者があったものです。気分の大将キリキリ舞いをして気の毒になったくらいです。店の宣伝も効を奏したわけですが、その後一向店に商品が並ばないので、何を買いに行っても間に合いません。これはまた不思議だと思っていますと、妻君が僕に家の内容を打ち明けて泣き出しました。ナルホドと思いました。
その後店は夜など早くからガラス戸が閉まっていて、電灯が暗くて商売はしているのかいないのか疑わしい体裁でした。それが柳屋という美術店と向き合っているので、誰かが柳屋の向かいだから幽霊屋ではないかなどとフザケたことを評判する奴もあったくらいです。
一、二カ月後洋行するという名目のもとに店を畳んでしまいました。いい人だけに僕も非常に気になりますので、何をしにフランスまで行くのですかと聞くと、まァやっぱり絵の研究ですなとのことです。なかなか人物の説明だけがヤヤコシクありましたが、この人がやって来ました。
そこでこの人物に、書生Mのことを話すと、よろしゅうおます、下宿でっか、心当たりもごわすさかい、と直ぐ引き受けてくれたのでやや安心しました。
T君は早速下宿の下検分に出かけて行きました。そして、宿をきめて来てくれました。
D日、下宿の部屋は二畳であって、とうてい絵が描けないというので、Mは以来毎日僕の画室の片隅へ来て何かしらゴソゴソ描きました。がどうも気にかかってなりません。第一僕が何も出来ないのです。それから僕が帽子を描くと彼も帽子を描きます。ラッパを描けばラッパを描きます。花を描けば花を描く。これでは、うるさくて、堪りません。
そこでデッサン修業ということにして、赤松先生画塾へとりあえず通わせるこ
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