分の家のことはさておき、町内を走り廻るという、妙なことになったりするのであります。
 ところが本当の看板屋、本当のラジオ屋、本当の大工、本当の絵描き、本当の自転車屋ではありませんから、その手間賃を誰一人として支払うものがありません。結局、万さんはよい人やという結論が町内へ行渡ってしまうだけであります。よほどの親譲りの財産でもない限り、万さんは貧乏せざるを得ません。私はまったく万さんを気の毒に思うのであります。同時にただ使っておきながらええ人やといっている町内の嬶などいうものは随分狡猾なものだと私は常に思うているのです。
 しかしながら器用人というものは何といっても本当の仕事が出来ないのが弱味です。商売にならないのも無理はありません。芸術家の心だけを多少持っているところがかえって不幸の種かも知れません。
 私の知人M君もこの万さんの一人でありまして、初午の絵行灯に雁次郎の似顔でも描かせばなかなか稚気愛すべきものを描きます。ところでM君も徳川末期あたりに生まれていればまず一日を床屋で暮していても、町内を走り廻っていても、この世だけは無事に暮せたのでしょうけれども、この現代はあまりに生活が深酷過ぎますので堪りません。彼には妻子があるのですから、なかなかええ人やという評判くらいでは食っては行けないのです。M君は止むを得ず保険会社の勧誘員を勤めました。ところがちょっと絵心でもあるくらいのM君ですから、やはり芸術家の潔癖な心得だけは、心の片隅に持っていますから、勧めたくもない保険など他人へ強いてみたりする下等な行いはいかにも出来難いのでありました。M君はある時私なら馴染でもあるし話やすいと思ってか、勧誘にやって来ました。私はM君には気の毒と思いましたが、大体私は何年か後の金千円という金に興味など少しも持てないのだから厭だといって断りました。するとM君はなるほどそれもそうですなと同感して、すぐ帰ってしまいました。それくらいよくものの判った人格者であります。
 それからM君は中之島公園のベンチへ腰かけて、もっと自分の趣味と自力でやれる公明正大な商売はないかと考えたのでした。数日の後彼はテンプラ屋を決心しました。テンプラは彼の好物でもあるし資本もあまりかからない関係からかも知れません。
 しかし妻君は大変反対しました。妻君の心には芸術がありませんから、亭主のテンプラ屋は駄目だという計
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