いびきゃくやまとおうらい》、長谷寺《はせでら》の牡丹《ぼたん》ときのめでんがく及びだるま、思っただけでも数限りもなくそれらの情景は満ちている。
 私が美校にいた時分など、夏、冬、春の休みには必ず関西へ帰った。その誘因は大和の春、奈良の秋の思出に他ならなかったという位のものだ。全く、関東の何処《どこ》にもない情緒と温味のある自然であり、春の暢《のど》やかさと初秋の美しき閑寂さは東京の下谷《したや》、根津《ねづ》裏で下宿するものにとっては、誘惑されるのも無理でない事なのだ。近頃、妻が何か不愉快|極《きわ》まる美文ようのものを声高く朗読するので、何かと思って聞いていると、それは私が昔、下宿屋の二階で書きつけた大和路礼讃の頗《すこぶ》る悪寒《おかん》を伴う日記の一節だった。私は直ちに発禁を命じた。

 或《ある》夏から秋へかけて、奈良で写生がてら暮して見た事がある。そして奈良位暑い印象を与える処はないと思った。何しろ川がなく、池と水|溜《たま》りと井戸が奈良唯一の水辺風景なのだから。
 殊に猿沢池《さるさわのいけ》からかんかん照りの三条通りを春日《かすが》へ登って行く午後三時の暑さと来ては類が
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