三十年の私の今の文化住宅から見ると全く以て平安なる日本的情景であった。
盆が来ると寺の住職が大礼服によって出張する。線香の煙と、すず虫と、近松と、お経と木魚《もくぎょ》の音が新秋の私を教育してくれた。と同時に私は略画の情趣を知らぬ間に感得してしまった。何が私に絵心をつぎ込んだかと流行語で問うたなら、近松|門左衛門《もんざえもん》がそうさせたといえば足りるであろう。
床の掛物が、学校教育よりも私自身により多く作用した事は恐るべきものである。
床の間といえば、夏になると必ず出る滝の図があった。渡辺祥益といって天満《てんま》に住んでいた四条派末期の先生の作で、その画風は本格的で温柔そのものであった。図は箕面《みのお》の滝の夏景である。青い楓葉《ふうよう》につつまれたる白布の滝が静かに落ち、その周囲は雲煙を以てぼかされた。その座敷へ夏の太陽がさし込み、反射が暗い床の間を照して、その滝はすがすがしくも落ちていた。
甚だ病弱だった私は裏に住む漢方医者に腹を撫《な》でてもらいながらも、その滝に見惚《みと》れた。その医者が、ちょっと竹に雀《すずめ》ぐらいの絵心はあった。私に[#「私に」は底本では「私は」]それぼん[#「ぼん」に傍点]これはどうやといいつつ懐紙へかわせみと水草を描いて見せた。私は一生懸命その墨画を真似《まね》たがどうも先生ほどの墨色は出なかった。
箕面の滝が消え去ると近松の秋暑しである。その次が誰の作か忘れたが紅葉の図だった。
私はどうも絵が習って見たくて堪《た》まらなくなってしまったので、父に無理をいってとうとう天満の祥益先生を訪れたものだった。私の最初の先生は、その箕面の滝と殆ど同じぐらいの温順さにおいて紅毛氈《あかもうせん》の上へ端然と坐して絵絹《えぎぬ》に向っていた。そして私のために一本の竹を描いて見せた。
今、西洋人が日本画家の一本の筆先きから生れる竹石、雲煙の妙に驚くのと同じ種類の驚きで私は眺めていた。
さて家に帰ってやって見るに一向竹にもならず、徒《いたず》らに紙屑《かみくず》を製造する。退屈はとうとう私に絵というものは思ったより憂鬱なものだと感じさせた。
ともかく、季節によって変化する床の間風景は子供である私の心を刺した。全く日本の床の間は色彩と自然と芸術をなし崩しに放散して、日本人の生活に重い役目を仕《つかまつ》っている。
四
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