らないもんだよ。帰りには、ずい分珍らしいおみやげがあるから、そのつもりで楽しんでいてくれ。
 Portsaid を出てから船はすぐ地中海に入ったが、風は涼しく、夜月はよし、波は静かで、琵琶湖で月見をしている様だ。気候はもう初秋の頃である、もうゆかた一枚では寒い、あい服を着て丁度よい位だ。ヒルはそれでも少し暑い時もあるが、何んと云っても九月だから、丁度日本のおひがんの様な心ちがする。
 ソヨソヨと風が吹いて、ポカポカと日が照って、甲板で作業をしているセーラーの姿を見ても、実にのどかである。地中海の水の美くしさは格別だ、碧い色は、見なくてはわからない美くしさだね。
 永い永い航海も、実にへど一つ吐かず健康のうちに、もうあと三日で終りを告げようとしている。
 日本ではカナリに心配をしていた熱帯の旅行も、思った程の苦痛ではなかった。ただタイクツだけが一番の苦しみだった。然し、林君や、硲君や、その他の連中が多かったので大変楽だった。

 九月十六日
 永い永い航海もあす一日で終を告げる事になった。
 クライストにも四十幾日間ものっていると、もう、自分の家の様な思いがして、別れるのが少し気の毒な様な気がする。然し早くパリへ着きたい。昨日から伊太利の沿岸を走っている。
 あすの朝八時頃にはマルセーユの港へ入るそうだ。
 今日の午後には、ナポレオンの流された、コルシカ島のそばを通過する。
 きのうは、エトナの噴火山のすぐ近くを通過して、噴煙の盛んな光景を見た。
 地中海はサザ波も無い静かさである。
 初めて伊太利の山を見た時は、丁度垂水の海から陸の方を見たのと同じ事だった。御影あたりから六甲山を見たのと同じ景色もあった。急に帰りたくなった。
 地中海の水の色は美くしい。イタリーのメッシナ海峡を通る時には、陸を走る汽車が手にとる如くに見えた。
 美くしい景色や、いい天気や、日本に似た景色を見ると、日本が恋しくなる。日本はやはり美くしい、デリケートないい国だと思うよ。
 あす、マルセーユへ着けば、すぐ到着の電報をうちへ打って、一泊の後ち友人三四人とパリへ夜行の一等車で行くつもりである。遠さは丁度神戸東京間位と思う。
 パリのステーションまで、美川君に迎いに来てもらうつもりだ。
 マルセーユから電報をうつはずである。
 もう日本を出てから、ずい分久しく日が経った様な気がする。日本の事がボ
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