んざしや、金モールの房《ふさ》のある幕の端がだらだらとぶら下って、安い更紗《サラサ》模様のバックが引廻わされている。
 私がもう写生帖を懐中するだけの大人となってからの事だ。私の弟が薬剤師の試験を受けるためにとっておいた受験証をば私は預かっていた。それをその写生帖の一頁へはさんでおいた事をうっかりと忘れて私は、人ごみの中へ立って、ろくろ首を写生した。
 その翌日弟の試験日だ、私はそれを落した事を初めて知ったが、もう千日前の泥道にさような小さいものが存在すべきはずもなかった。弟はとうとう一年間遊んでしまったという、私の大失態がろくろ首から、醸《かも》し出された。
 曲馬団の娘や、女奇術師の顔や、女相撲取りの顔にもろくろ首と共通せる妖気は漂うていた。白粉《おしろい》が強いので二つの眼が真黒の穴とも見えた。殊に曲馬団では、殆《ほと》んど肉シャツ一枚で、乳がその形において現れ、彼女らは皆黒か赤のビロウドの猿股《さるまた》を穿《は》いていた。それが、固く引締った下から太い股《もも》が出ている処に胸のどきつく美しさがあった。それが針金の上で、あるいは空中の高い処であらゆるポーズをして見せるのだから、今でも私はあの芸当を好む。
 それと、私は、曲馬団が吹き鳴らす金色のラッパの音がとても好きなのだ。私はあらゆる音楽の中で、極端にいえばあのラッパの響きを好むといっていいと思う。あの調子の破れたような金属性のかすれ声はエキゾチックな泣き声である。
 私が巴里《パリ》の客舎にいる頃、いつも町|外《はず》れの森の中から、この曲馬団のラッパが毎日響いて、私の帰郷病を昂進《こうしん》させた。私はもし何か、長唄《ながうた》とか清元《きよもと》、歌沢《うたざわ》のお稽古《けいこ》でも出来るようなのんきな時間があったとしたら、私はこのラッパの稽古がして見たい。

 自分の親の醜態はあまり見たくないものだが、私の父は素人浄るりの世界では相当の位置にあったものと見えた。会がある度《た》びに母と共に、私は出かけねばならなかった。
 人目につく高い処へ父が現れるだけでもきまりが悪いのに、その父が女の泣く真似《まね》をして何んともいえない渋面《じゅうめん》を作って悩むのだから、子として全く私はやり切れなかった。で、浄るりの会と聞くと憂鬱《ゆううつ》になった。しかしながら、燭台の焔《ほのお》がほろほろと輝き大勢の人が集り、芸妓《げいぎ》らしい人たちが大勢集り、ぼんぼんといってくれるのがうれしいのと、会のあとでは「のせ」といって何か御馳走《ごちそう》にありつけるのが先ず私の目的だった。
 私の父は胃に癌《がん》が出来てからもなお、素人浄るり大会で、忠臣蔵の茶屋場の実演に平右衛門《へいえもん》となって登場した。その時の憐《あわ》れな姿は、むしろ亡霊に近いものだった。私の父は死ぬまで、消極的ではあるが、陽気に遊んでいたかったらしい。
 大体、浄るりというものが、何を喋《しゃべ》っているのか、少しも諒解《りょうかい》出来なかったけれども、ただその音律の物悲しいものである事だけが私の心へ流れ込んで来た。
 それで今でも、あの太い三味線がでん[#「でん」に傍点]となって、太夫《たゆう》がうーと一言うなると直ぐに浄るりを聞くだけの心がまえが忽《たちま》ちにして私の心に備わるのである。

 たった一つ、清潔な教育は施された。それは、心学道話だ。これは、堺筋に道場があり、燭台と、燈心の光以外の燈火はなかった。床の間に忠孝の軸が懸《かか》っていた。近所の医者とか知識あるものたちが、義勇的にここへ現れて、ためになる話をしてくれるのだ。忠臣義士の話を連続的にうまく演じる人もあったと記憶する。何しろ燈心の暗さが心を静めるのと、近所の人がぞろぞろと集るのが訳もなくうれしく、その上帰る時、岩おこしを一つずつ頂戴する事が最後の希望でもあった。
 この心学道話は今なお、スピードの堺筋に存在し、心学道話の看板も懸っていると思う。

 いも助、くり丸、といって二つの有力な宣伝業である東西屋《とうざいや》があった。今高座に出ている九里丸はその子孫かどうかは知らないが。
 この二つの東西屋は各々特色があった。いも助は鳥の尻尾《しっぽ》を立てたる籠《かご》の如き形の笠《かさ》を被《かぶ》り、大きな拍子木《ひょうしぎ》を携帯していた。喋《しゃべ》る時、目を細くして頭を左右に打ち振るのが彼の特長であった。九里丸はきらびやかな殿様風で万事が華やかだった。時には一本歯の塗りの高い下駄を履《は》いて、素晴らしい衣裳で大ぜいが三味線や鐘[#「鐘」は底本では「鉦」]で流して行くのが、私にとっては心の躍る行列だった、私はいつまでも後から従った。ある時、一本歯の九里丸は躓《つまず》いて彼は倒れた。金らんの帽子はそのはずみで飛んでしま
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