の静物を見ると同時に坐ってしまった。腰が抜けるということはほんまにあることだす[#「だす」は底本では「だ」]と彼は後に話していた。
 これではいけないと思って無理から立ち上がり慄えながら線路を探し廻ったが、不思議にも肝腎の死体がなかった。
 ちょうどそこへ村人が通り合わせて、彼はAを今駅の構内へ運んだから、早く行ってやれ、まだ虫の息はあるようだからと知らせてくれた。
 H駅のうす暗い八角形のランプはいつも蜘蛛の巣で取り巻かれている。その下のうす暗い片隅の蓆の上に彼女は寝かされていた、兄が行った時、眼を開いて何かいうのである。おそるおそる近寄ってみると彼女は片手両足を失い至極簡単なる胴体となってしまっていた。
 彼女の愛人から亀の甲だと呼ばれた彼女の大切なその手はどこへ落として来たものか影も形もなくなっていた。
 集まって来た駅の人達も村人も、もうあかんなといっているし、警察の人も警察医も、もうあかんといった。兄ももうあかんと考えた。

 兄は電報で、彼女の姉とその亭主を呼んだので彼らは終列車で到着した。姉は蓆の上で無残なる胴体と化けている妹を見て泣いた。しかしその胴体はしきりに水を要求している。そしてその色魔坊主を取り殺すと叫んでいる[#「叫んでいる」は底本では「呼んでいる」]。
 しかしどうせもうあかんものなら病院へ入れることは無駄なことでもあるし、費用という点も至極考えねばならぬことだしするのでとりあえずまあ[#「まあ」は底本にはなし]家へ運んで置いたらよろしいやろ、どうせあすの朝までだすさかいということに話がきまった。
 彼女は最後の一夜を玄関[#「玄関」は底本では「玄間」]の庭の片隅へ蓆を敷いて寝かされ呻き通した。一族は何が何であろうとも、まず一杯飲まねば助からぬということになり座敷では相談がてらの酒宴が開かれた。皆がもう朝までのことだといってその手筈をきめたにかかわらず、死骸となり切れないのが彼女自身である。蓆の上でだんだん意識がはっきりとしてくるのであった。

 翌朝、彼女はお粥が食べたいといい出した。ある男はひそかにああそれがいかん、変が来る前にはたべたがるものだすと鑑定した。
 しかし彼女はお粥が大変うまかったといって喜んだだけで、一向変調な顔をしないのみか多少以前より喋り出して来たものだ。その喋るというのがまたおかしいとまだ未練を残す者もあった。

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