者どもの眼が鋭くなって来ました。もうどんよりとした節穴かガラス玉の如きものは少なくなってまいりました。
先日もある浮世絵の書物で美人の標本として二、三の婦人裸像が描かれてあるのを見ました。そしてそれには、相当丁寧に人体各部の説明が施されてありました。さてその足を見ますと、その長さは胴体の長さよりもよほど短く描かれ、足の関節のところで曲がってくの字を横に二つ並べてありました。さてこの足に衣服を着せますと、いわゆる風流柳腰の姿態というものになります。昔の男達はこの腰に迷ったものでありました。私も新内や浄瑠璃時代に片足をふみ込んで生まれたがためにこの腰つきの妙所を少しく理解致します。
しかしながらこの足は厚い裾に包んであり、常に裾の厚さとともに観賞すべきものでありました。その裾から少量の素足を見せるところに悩ましき美は存在したのでしたが、もう火事と地震の現代女性は尻をからげて走り出しました。
急激に走り出さねばならぬ時代となったから裾の中に、ぬくぬくと収まっていた短い足が急に長く一直線に伸び上がるというに左様に都合よくはまいりません。まずこれだけは暫時、ぽつぽつと進化せねばなりません。といって自分の足が伸びるまで、火事と地震の中でじっと待っていることは出来ません。ここに近代日本の美人は悲劇を持たねばなりません。
短いくの字の足を、捨鉢となって勇敢に露出することに決心した彼女達は勇ましく、レヴューのために足を並べました。私は心斎橋を散歩しながら、あるいは銀座の歩道で、あるいは電車やバスの中で洋装におけるそれらの足に敬意を払います。
時代の混雑せる風景はいかにも嫌だという人達は、この現世の有様を厭うて心を徳川時代におき据え、今なお世の片隅に残っている古物をあさり、古物の女を眺め、その古物の中に自分の心を求めて住むことを楽しんでいます。まったくそれらはすでに出来上がった芸術であり女でありますから、何かと心を乱す雑音がありません。眺めやすく住み心地もよろしいわけであります。私も芸妓、歌舞伎、落語、三味線、柳腰、の世界へ閉じ籠っていたいと思いますが、それでは何か、も一つ、私の心に大きな風穴が開いてしまって、その穴から何ともいい知れないところの幽霊の浜風が吹き込んでまいります。そこで私は我慢してあの短いくの字の足が伸び上がるのを楽しんで待っているのであります。
しかしなが
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