い、つるつるの禿頭が私の前へ転《ころ》がったものだ。私は、それ以来九里丸の頭が少し怖ろしくなって、つい、いも助の方へ、なるべく賛助して歩くようになってしまった。そして同じ口上《こうじょう》を幾度でも暗記するまで、ついてあるいた。そして彼の柔かに動く頸《くび》と、細い目を観賞しながら。

 とこう書いていると、いくらでも記憶は蘇生《そせい》する。ともかくも、かかるすべてのものは悉《ことごと》く下手《げて》の味あるものばかりである。一つとして、高尚、高貴、上品なものはない。夜店のたべもの、夜店の発明品だ。香具師《やし》がいう如く、あっちにもこっちにもあるというありふれた品物ではない。買って帰るとすぐつぶれるという品でもないといっているが、即ちその品こそ持って帰るとすぐつぶれてしまう処のものであるのだ。
 しかしその、変色し、つぶれる、安い処に、愛嬌《あいきょう》と物悲しさを含んでいる。そして下手ものは安く仕上げる必要から勢い手数を極度に省く、その事が偶然にもまた、芸術の方則に合致する事があり、適当な省略法が加えられるのでその結果、高貴なるものの複雑にして鈍きものよりも、単純にして人の心を強く動かすだけの力を偶然にも備えるものである。
 現代では人絹《じんけん》というものがある。人絹製の帯や襟巻《えりまき》などに、上等のものよりも数等感心すべきさっぱりとした美しい柄を発見する。そして、幾百円の丸帯など見ると、全く何か、うるさい、不愉快な手数ばかりを感じてしまう事さえある。
 狩野《かのう》派末期の高貴なる細工ものよりも、師宣《もろのぶ》の版画に驚嘆すべき強さと美しさが隠されていた如き事も、世の中には常にある事だ。
 大体、日本人は、何から何まで本物でなければ承知しないくせ[#「くせ」に傍点]がある。本物もいいが極端になるとその結果、何から何まで本金づくめの本物づくめとなり、指に純金の指環《ゆびわ》、歯に本金の入れ歯を光らせ、正二十円の金貨を帯止めに光らせ、しかも、工芸的価値や模様の美しさなどは顕微鏡で覗《のぞ》いても出て来ない。
 西洋の下級な女たちの手にはめられている大げさな指環は、悉《ことごと》くこれ、ガラス玉であり、牛骨と合金で出来上っているのを見た。そしてそれが愛すべく美しい模様|唐草《からくさ》によって包まれている。私は、そのガラスの青さと、合金の金具と、その唐
前へ 次へ
全119ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング