たシュールレアリズムに似て下手なるものやヴラマンクに似てかつ拙い絵などにも応用されて、ややこしいシュールややこしいヴラマンクややこしいピカソともいう。
 そしてこの言葉のいいところは、情事に使っても悪口に使っても、何に使用しても決して法律や巡査の言葉の如く角が立たない上に、大体の言葉のどん底にはにやにやと笑いながら女が撫でているような響きを持っているので、何をいわれても忽然と腹が立って来ない。もし腹が立つにしても、テンポがのろいのだ。相手と別れて家へ帰って一晩中考えているうちにどうやら腹が少しく立って来るという具合だ。といってまたその相手に面会するとせっかく立った腹がまた寝てしまう。結局ややこしい言葉である。

 このややこしい言葉が重宝に使われるということは、大体関西人とくに大阪人には人を怒らせずに悪口を述べ、悪口をのべながらも好意を示し、喧嘩しながらも円満にといった風の不思議に滑らかな心が昔から発達している、その結果がこの言葉で表現されるのだと私は思う。
 だから大阪人のややこしさを了解しない地方人や東京の手荒い気質を持ったものは、はなはだ大阪人との交際ではまごつく。
 例えば嫌なものを嫌だとはっきりいわないものだからつい食べさせる。結構でんなと顔では悦びながらも相手の好意を無にすることをおそれて、無理やりに胃の方へ押し込んでしまってあとから下痢嘔吐を催し、ついには食べさせた人をひそかに怨むようになったりする。そのくせ顔を見るとはなはだ丁寧に挨拶して、先日は結構な御馳走を頂戴いたしまして、もううちじゅう大悦びでなどいう。
 大阪人の喧嘩は大概の場合、かかる行き方によって組み立てられていくことが多い。
 好きか嫌か、嫌なら止めとけ、馬鹿、絶交だ、というふうに明快にはいかないのだ。
 さあ、どっちでもかまいまへん。まあ、あんさんのお好きな方を頂戴いたします。など体裁のいいことをいいながら、実はあれがほしいと心の中では思っていて、いつまでも忘れないのだからあぶない。
 双方が大阪人ならば、ああそうでっか、お好きなようにと、万事先方の心の奥を承知しながら、とぼけてしまって片づけるが、一方が簡単な人種だったらはなはだ不都合な取り合わせとなる。
 このややこしい言葉を持たない地方の人達が、至極簡単に僕は嫌だ、それをくれ、いらない。金を貸せ、いやだ、よし、馬鹿野郎、帰れ、とい
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