ある。
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それは私の滞欧中の手紙をみても、その間に考えたことについて考えてみても、今思うとそんな馬鹿なことがあるものか、それは少しおかしいぞと思えることばかり多く書いているようだ。それでまったく自分自身もはなはだ頼りにならないものだと思い、信用の出来ないものだとつくづく考えられる。まったく私は何かにつままれていたらしいようでもある、心細い限りである。だから今洋行中の手紙などをみると恥しくて身の毛がよだつ思いがする。
そのくせ私はいったん旅に出たその日から私は私自身の精神状態については、大丈夫か、つままれてはいないか、正気か、逆上していないか、帰郷病に罹ってはいないかと常に調べていたものだった。私は大丈夫だ正気だ[#「正気だ」は底本にはなし]と答えていたが、それがやはりどうやら間違っていたらしい。いったん船に乗り込むと同時に私はもはや常の心ではなかったものらしい。
それはまったく私が旅馴れないのと私の洋行以前の日常生活があまりに旧日本的であったためその生活の急激な変化が一つの原因でもあったかも知れないと思う。私のそれまでの生活は不精髭を蓄えて懐手をして、四畳半の座敷で火鉢を抱いて坐った切りの日常であったものだ。洋服はネクタイの結び方も知らなかったのであった。
それが直ぐに欧州航路の船客として、西洋人と同じ起居をすることになったのである。そして自分と連絡のある、あらゆるものから離れて海と空と、ペンキとマストとエンジンの音と、他人と外国語と遠方という世界へ投出されたのだから、多少気が転倒したのも無理のないことであるかも知れない。転倒したきり、変なところへ精神が引懸ってしまったものだろうと思う。
ところでかくの如く変な精神状態になるのは必ずしも私だけではないようだ、外遊中の誰しもが多少ともこの傾向を帯びているように私には思える。誰も彼もが一種のヒステリー症に罹るのだといってもいいかと思う。
一種の昂奮状態に陥るのである。いったんこの状態になるとなかなか回復しない。私は天狗につままれたる昂奮のままでパリやベルリンを歩いていたに違いない。
この昂奮状態も人によっては憂鬱性となって現れる人と、躁狂性となる人とがある。私などは憂鬱性であったらしい。
憂鬱の方は妙に日本が恋しくなり日本が世界一番だといい出す癖がある。躁狂性の方は反対に日本の悪口をいって心
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