の人生行路におけるこの上ない感謝であって、世間にはこの感激に生きている人は少なくない。あの菅公の宇多上皇に対する恩顧の思い出はそれを示して余りあり、理想の愛人に合うことの悦びはいまさらいうまでもなく花は一時に開き鳥は歌うのである。青春未婚の男女であってこの幸福を求めて胸を躍らせない者はないであろう。またそれは与えられるのが常である。そうでないように見えてもやはりときに合うものである。ある若い女性は私の処へ初めてきたとき「私のような者を愛してくれる人はありませんわ」といって泣き顔になったが、二年ののちそれが与えられたので私がそのときの事をいうと、「夢のようです」と今はいっている。
 またすべての人が苦い別離を味わうとは限らない。自然に相愛して結婚し、幸福な家庭を作って、終生愛し通して終わる者ははなはだ多い。しかしそうした場合でもその「幸福」というのは見掛けのものであって、当時者の間にはいろいろの不満も、倦怠も、ときには別離の危険さえもあったであろうが、愛の思い出と夫婦道の錬成とによってその時機を過ごすと多くは平和な晩年期がきて終わりを全うすることができるのである。
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今更に何をか嘆かむ打ち靡き心は君に依りにしものを(万葉巻四)
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 調和した安らかな老夫婦は実に美しく松風に琴の音の添うような趣きがあって日本的の尊さである。
 君臣、師弟、朋友の結合も素より忍耐と操持とをもってではあるが終わりを全うするものもあるのであって、かような有終の美こそ実に心にくきものである。自分の如きは一生を回顧して中絶した人倫関係の少なくないのを嘆かずにはいられない。それはやはり自分の運命が拙いのであって、人間が初めから別離の悲哀を思うて恐れをもって相対することをすすめる気にはもちろんなれない。やはり自然に率直に朗らかに「求めよさらば与えられん」という態度で立ち向かうことをすすめたい。
 けれども有限なる人生において、事実は叢雲が待ちかまえているのは避けられないことを知る以上、対人関係はつつましく運命を畏む心で行なわれねばならないのであって、かりそめな軽忽な態度であってはならない。人生の遭逢は幸福であるとともに一つの危機である。この危機を恐れるならば、他人に対して淡泊枯淡あまり心をつながずに生きるのが最も賢いが、しかしそれではこの人生の最大の幸福、結実が得られないのであるならば、勇ましくまともにこの人生の危機にぶつかる態度をもって、しかしそれだけにつつましく知性と意志とを働かせつつ立ち向かっていくべきであろう。
 そこで現代の若い女性の対人態度の二重性が生じるわけである。一方には愛を求めて、しかし一方には愛を恐れて。がこの二重性を一つのポーズに持ちこなすことは、現代女性の知性の働きであろう。私たちは求愛の表情の外に現われているようなポーズはもとよりとらない。がそれかといって、冷くすましていられるのもとりつくしま[#「とりつくしま」に傍点]がない。求める心を内に抱いて、外はいくらか結晶性なのが――という意味は化合するまでには溶解することを要するという意味なのが相応しい気がする。それは「結ばれやすい」という性質は一方また「離れやすい」という性質にもなるので感情過多いわゆる水性ということは人生の離合の悲劇を避けるためには最もつつしまねばならぬことだからである。
 それでは如何なる場合に合し如何なる場合に離れるべきか。そうした離合の拠るべき法則というものはないのか。それはごく一般的にいえば、共通の理想、主義、仕事、ないしは「道」あるいは「子ども」を守って生き得るときは結合せよ。そうした表現が今日の場合抽象にすぎるならば、人間生活の具体的な単位である国民道を共に生き得るときは結合せよ。その希望が持てず、その見通しができないときは別離せよ。とでもいっておいて大過ないであろう。かくてなお不幸にして一つの結合に破れたからといって絶望すべきではない。人生にはなお広い運命と癒す歳月とがあるからである。
 ある有名な日本の女流作家の如きは幾度も離合をくりかえしてそのたびごとに成長したという話も聞いている。しかしながら私たちはかような離合の数のできるだけ少ないことを尊しとせざるを得ない。そしてその神聖のものはいつでも一回性《アインマールハイト》のそれである。ひとたび相愛して結合し、終生離れず終わりを全うする美しさに及ぶものはないのである。離合を重ねるたびに人間の、ことに女性の霊魂は薫染せざるを得ないからである。如何にハリウッドの女優のような知性と生活技法、経済的基礎とをもってしても、離合のたびに女性の品位は堕落し、とうてい日本の貞女烈婦のような操持ある女性の品位と比ぶべくもないのである。
 人生における別離には死別にも生別にもさまざまの場合があって、いちいちの例は涙の煉獄である。キューリー夫人のように自分の最愛の夫であり、唯一の科学の共働者であるものを突然不慮の災難によって奪い去らるる死別もあれば、ただ貧苦のためだけで一家が離散して生きなければならない生別もある。
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姉は島原妹は他国 桜花かや散りぢりに
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 真鍋博士の夫人は遺言して「自分の骨は埋めずに夫の身の側に置いて下さい」といわれたときく。が博士もまた先ごろ亡くなられた。今は二人の骨は一緒に埋められて、一つの墓石となられたであろう。
 それではかようにして別離した者は再び相合うことはないのであろうか。これは人間として断腸の問いである。私は今春、招魂祭の夜の放送を聞いて、しみじみと思ったのである。近代の知性は冷やかに死後の再会というようなことを否定するであろうが、この世界をこのアクチュアルな世界すなわち娑婆世界のみに限るのは絶対の根拠はなく、それがどのような仕組みに構成されているかということは恐らく人知の意表に出るようなことがありはしないか。本居宣長もそういうようなことをいっている。日蓮の手紙には、「霊山にて逢ひまゐらせん」といつも書いてある。ラファエル・フォン・ケーベルやカルル・ヒルティや、内村鑑三らが信じて疑うことができなかったように私たちの地上に別れた霊魂は再び相合うときがあるのではなかろうか。深き別離は実際われわれの霊魂にむくろを残しているのである。私たちは去り行きたる人々のために祈るより他はない気がする。私の夜空を眺めるとき、あの空に散りばめた星と星との背後に透視画的の運命のつながりがあり、それが私たち地上の別れた哀れな人間たちの運命の絆を象徴しているのではあるまいかというようなことも思い浮かべられるのである。
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別るるや夢一とすぢの天の河
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[#地から2字上げ](『婦人公論』一九四二・一〇・所載)



底本:「青春をいかに生きるか」角川文庫、角川書店
   1953(昭和28)年9月30日初版発行
   1967(昭和42)年6月30日43版発行
   1981(昭和56)年7月30日改版25版発行
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2005年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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