ません。けれど私はどのようにしても愛と知恵との天使的なるあこがれが性と相容れないものならば、いさぎよく女性にさようならを告げて勇猛心を起こして天に昇らねばならぬとの覚悟はいたしているのです。愛はあくまでも真理であることは疑いません。この愛に背くものはいかなるものといえども悪しきものとして私は斥けてもいいと存じます。純なる愛の動機にもとらずにどのようにして性を私の生活にとり入れたらいいものかを考えたいのです。私はまことに恥ずかしながら謙さんなどよりもこの問題により多く苦しまなければならないような性格の者なのです。私はしじゅうこれまでこのために苦しんできました。私の生活の乱れるのは多くの場合このためなのでした。私はあなたたちことには謙さんの前にしばしばこのような卑しい言葉を書かねばならぬのを恥じますけれど、私がそのようなものなのですから、許していただかねばなりません。私は謙さんは珍しき静かな、調和した、上品な人間だと思います。そして尊敬せずにはいられません。私はこの秋にでも上京してあなたたちと朝夕往復するようになれば、さぞあなたたちは私の粗野な部分に触れて失望なさるだろうと思い、それを恐れる気もいたします。なにとぞ私に多くを期待せずに愛して下さいまし。私ぐらい生活を乱しがちな弱い者はありますまい。手紙でもあなたたちはいつでも忙しい身でもじきに返事を下さるのに、私はいつも遊んでいながら、このように御無沙汰をいたします。これと申しますのも私の生活がじきに乱れて心がおちつくことが少ないからです。なにとぞ気を悪しくして下さいますな。
信仰の問題についても私は一つの困難に遭遇《そうぐう》いたしました。それは私が聖書をドラマとせずに約束の書として読み、宗教的気分ではなく宗教の信仰をレアルなものとしては満足できなくなったときに生じたのでした。すなわち、聖書のなかにさまざまの疑いを、それは奇蹟に対する疑いよりも、神としての言行の道徳性に対する懐疑が生じました。そして私は宗教が真に「実」なるものとして私のなかに据わるまでには、まだ問題が多く残されてあることを感じだしました。そのようなわけで私は病院にいたときのように平和でいることができません。けれど私はそれらの混乱にも悩みにも耐え忍んで参りますから心配しないでください。
私はこの月の末には別府を去ります。そしてあるいは妹と別れて私だけどこかの淋しいところに隠遁するかもしれません。思えば別府での生活は私にはまったく失敗でした。私は取乱した姿で人の前に出ないように、しばし私の心をととのえるために二、三か月の間退隠させてほしい。私が人々を愛する用意をするためにしばらく暇を、愛する人々にこいたいと思います。なにとぞ私が自らの安逸のために煩わしき世よりのがるるものと思って下さいますな。私はトマスより違った気持ちで隠遁します。私は塵《ちり》の巷《ちまた》に兄弟たちと共生すべきものなれど、しばしの暇をこい求めるのです。あなたがもし呉にいらっしゃいますならば、おそらく私は呉より船にて七、八里ばかりの、ある瀬戸内海の小さな島にて、あなたとなつかしい握手をするようになるでございましょう。
謙さんの送って下さった「百合の谷」は毎朝読んでいます。私は親しみを感ずることのうれしさに、訳されたほうを読んでいます。妹も読んでいます。謙さんには別に手紙を出しますけれど、この手紙は謙さんにも見せてくださいまし。「百合の谷」の所感などは、謙さんへの手紙に譲りましょう。冗漫な、乱れた手紙になりまして失礼いたしました。くれぐれも御自重なさいまし、夏にお目にかかれればこのように悦ばしいことはございません。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛[#「久保正夫氏宛」は底本では「久保正氏宛」] 五月二十三日。別府温泉より)
たのしき畏ろしき未来のために祈る
私が久しく手紙を出さなかったものだから、あなたに御心配をさせてまことにいけないことをしました。まったく私の心が乱れて悩ましいためでした。なにとぞ憐れみゆるして下さい。あなたはよくも私ごときの運命を、あなたの身の上の一つの重大なことのように、よく気にかけて下さいます。私は時々不思議なような私がそれに価しないような気がすることがあります。そしてまた時おりはあなたが私とほんとに朝夕往復するようになったら、私のなかの卑しい部分に触れて失望なさりはしまいかと怖れることがあります。なにとぞ私をつまらないものと知って愛して下さい。たとえ私は卑しくとも、卑しいことを恥ずる感情は失ったことはなく、またそれを私のわずかの恃《たの》み場として守っていますから。私はドストエフスキーなどを読むときに、いつも彼が正直羞恥、信ずる心、容れる能《はたら》きなどを問題として、インテレッシイレンしているのに、深く
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