でありません。許して下さい。私はもっと心を強くして周囲に支配されぬようにならねばいけません。トマスの「百合の谷」を送って下さいませんか。お天気になれば妹と写真を撮って送りますつもりです。
[#地から2字上げ](久保謙氏宛 四月二十七日朝。別府より)
静かな、知性ある友情の慰め
あなたからのかずかずのやさしいすぐれた手紙や、小包み、雑誌などはみな残らずたしかに落手いたしています。そしてそのたびごとにあなたの熱い真心を深い感謝と、そしてときには涙をこぼしてのよろこびをもって受け取りました。あなたは私の長い沈黙にさぞさぞ物足りなくお感じなされたことでしょう。そしてあなたが私に何かシュルドを作ってるのではなかろうかとさえお考えなされましたと聞き私は胸を打たれました。私はもったいなく感じます。なにとぞ私を許して下さいまし。私は心が混乱しているためと発熱して少しく不快であったのと、来客をもてなすためなどでこのように永い御無沙汰をしてしまいました。私は心が乱れて手紙がかけないので、しばらく妹とも別れて二、三日淋しい山のなかの温泉へ行って心をまとめて手紙をかくつもりでした。そして出発しようとしてる時に、ひとりの従弟《いとこ》が訪《たず》ねて来たのでそのくわだては行なわれませんでした。今夕従弟は別府を去りました。そして雨のしとしと降る音を近頃になくしみじみした親しみのある心できくことのできるような気分が訪れました。私は従弟を波止場まで送って帰り妹と雨に煙る街《まち》のともしびを見ながらなつかしい淋しい話をいたしました。もう一週間すれば別府を去ることや、病院のことや、あなたたちのことや、ふる里の母のことなどを、そしてことに私のひとりの妹のこの頃の苦しい煩悶について二人は胸をいためつつ語りました。その後で私はあなたにしみじみと手紙の書ける心地に訪れられてこのように筆を執りましたのでございます。
あなたは今頃はどうしていらっしゃるでしょう。おおかた読書していらっしゃるか、創作にいそしんでいらっしゃるかでしょうと思われます。あなたの勤労には私は敬服のほかはありません。あなたはまれなる精力を持っていらっしゃるように思われます。「白い部屋の物語」でその一部分のうかがわるる永い永い小説はまだ五章が終わっただけと承わりましたが、それができあがるのをたのしい、大きな期待を持って待っています。そのために多くの眠らぬ夜や、たれこめて日を拝せぬ幾月を価したと聞きますね、どうぞたゆまぬ、まめやかな、旺《さか》んな表現の衝動をもって、深い、博い人性の善くなろうとするねがいを失わずに、あなたの芸術的努力をつづけて下さいまし。私はほんとにあなたの未来に驚くべきものを期待しています。あなたの年若さであなたほどのタレントに達し得た人は、失礼ですけれどまれだろうとおもわれます。けれどねがわくば健康を大切にして下さい。必ず必ず私のように病身ものになって下さらぬようくれぐれもお頼みいたしておきます。あなたが母と子との間の愛の讚美として創ろうとなさる小説をも私はなつかしく親しき心地にて期待しています。「母たちと子たち」というのはまことに私の心に適う名でございます。母様へのあなたのやさしき奉仕のお心はあなたのいつものお手紙にてよく察せられ、私はまことに尊く思っています。この頃の多くのエゴイスチッシュなほしいままな、母にそむく子たちを思えば、浅ましく荒々しく感じられてなりません。何ゆえに近代の青年は、やさしいものの心を傷つけることを深い罪と感じなくなったのでしょうか。私はさまざまの荒々しき醜き出来事について聞かされます。母親の心、乙女の心などのたやすく傷つけられるのを見ると私はたまらなくなります。私もそれまであまり大切にもしなかった母をばこの後はなぐさめ、いとしんで仕えて行かねばならぬと思います。先日私は妹と一緒に撮った写真に、別府名産の竹細工の美しい籠を添えて妹と二人で手紙を出しました。私も妹も丈夫そうに写されていましたから、母はさぞ悦ぶことと思われます。
ペラダンの「アッシジのフランシス」はまだ読みません。この人についてはこれまで私は何事も知りませんでした。フランシスのものは少しは読みました。私はこの聖者を取扱った戯曲を数日の内に読み始めましょう。ことにフランシスとクララとのことに注意をおいて読みましょうとおもいます。私の心の混乱するのはまったく神と性との問題についての悩みのためなのです。この頃私の魂はこの煩悶のために平静を乱しておちつくことができません。私のこのもだえは二週間ほど前にお絹さんが私をたずねて来てからますます強くなりました。お絹さんは突然私をたずねて来ました。そして五日ほど私たちと一緒に暮らしました。彼女はますますはげしく私を恋い慕うようになりました。五日の
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