に残っている妻や子は? あなたのお手紙にあったラスクの戦死したことなど思われます。あなたのお写真はよくとれていましたね。少しお瘠せなさいましたね。あまり心を苦しめなすったせいではないかと思いました。魂の悩みを持っている人のように見えました。私の写真はずいぶんふけてうつりました。私はいったいふけました。みなそれを認めて驚きます。私はもうユーゲントを見捨てました。もう一人前になりました。私は老年期の完成を急ぎます。早く堅まりすぎるという人もあるでしょうが、私はあらかじめ自分を七十も八十も生きるものと定めておいて、プログラムをつくって生きることはできません。堅まりたいと常につとめて、しかも堅まれないのが真実と思います。それに私はとても長生きはできません。ゲーテが八十までに成就したことを、私は四十くらいで成し遂げなくてはならないのですから。
ソフォクレスのフィロクテテスを読みました。今から二千年の昔にこのようなものが書かれてあったのだと思うと驚きます。フィロクテテスの深い不幸な魂の呻《うめ》きは、私の心につよく響き、そしてなぐさめに近い同悲の情を呼び起こしました。ヨブなどの運命を思いました。私はあたかも鬼界ヶ島に流された俊寛をドラマに描こうと思っていたので、ことにおもしろく読みました。私は俊寛が鬼界ヶ島に流されて、年老い一緒に流されて苦しみと淋しさを分かっていた二人の仲間は、迎いの舟が来て京に帰り、ただひとり残された淋しさを描こうと思うのです。そして清盛に反抗するいっさいの手段は尽きたけれど、ただ一つ呪うことはできる、それで平氏の子孫の裔《すえ》にまで呪詛《じゅそ》を遺して死ぬところを、その呪詛を眼目にして描こうと思っています。
私は今は「人類の愛」という喜劇を描いています。愛を口にして、隣人の運命に不注意な文士のカリカチュアを描く気です。私はたくさんかきたいものがあるのですが、生命の川は一ページ約五十銭の印刷費を自分で持たねばならぬので、短いものしか描かれず、困っています。謙さんに新思潮を交渉してみてもらったのですが、これもお金を出さなくてはならないそうです。どこかお金なしで作を発表できるところはありますまいか。「愛と知恵との言葉」ものせる余裕がないのです。「出家とその弟子」は完成しました。生命の川は正月を休刊したので、二月からのせると四月にならなくては終わらないので、ほかのを出せなくて困っています。江馬君にでも頼んで、どこか私の作をお金なしで、発表できるところを工夫してみて下さいませんか。ただし、気らくに、責任を持たずに考えておいて下さいというだけですよ。なければなくてもいいのです。艶子のものも、どこかお金なしで発表できるところをつくってやりたいのです。もしあなたの力で何とかなれば考えておいてやって下さいませんか。
茅ヶ崎のほうは、そんなにたびたび血が出ては実に淋しいでしょう。あなたも慰めかねなさいますでしょう。その忍受して耐えていらっしゃるのを見るのははたの人はいじらしいでしょう。私はこの頃は神経痛で腰が痛むので、不自由を感じています。どうせ病身なのですから、もうなれています。あまり案じて下さるな、私は病苦の間から仕事をする気です。
アヤスというのを私も読みましょう。私はソフォクレスはたいへん好きになりました。今日もソフォクレスの彫像の写真を出してながめました。あなたのおかげでいろいろないいものを読まれることを感謝いたします。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 丹那より)
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大正六年(一九一七)
芸術創作とパンの問題
新しい年が来ました。今年があなたに豊かな祝福をもたらすことを祈ります。東京の松の内の賑わしさなど想像いたします。どのようにしてお過ごしなされますか。
丹那は淋しいお正月です。私たちは二人で心ばかりの祝いのお雑煮餅もいただきました。艶子が二十九日に帰ってからはたいへん淋しくなりました。
私はやはり丹那に隠遁してひそかな松の内を送るでしょう。階下の農夫の夫婦と話したり、近所の子供たちでも集めて花合わせでもしたりするでしょう。
あなたの新潮社から出されるトルストイの「人はどれだけ土地を要するか」という小話はかつておもしろく読みました。平和ということが第一なのを忘れて貪欲になってはいけないのですね。土地を耕して生きてゆくのが一番安定した健全な暮らし方なのでしょう。
あなたのお手紙にあるように、私も私のパンを父母の労苦から得ているのが気になってならないのです。けれど鍬《くわ》を持つには健康が侵され、ペンではお金を得るどころでなく、お金がかかるようなしだいで困っています。あなたのおっしゃるように、私たちが自分たちの雑誌を持ち、それを自分たちの労働で支えることができるならばフェボラ
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