、父を毒害しようとしました。父が病死したと言って重盛をあざむくために。しかしそれが成功しなかったので、(よろめく)あゝ、ほとんど信ずることのできないような残酷な方法です、芦《あし》の密生している高い崖《がけ》の上に連れ出して、後ろから突き落としたのです。父は芦に串刺《くしざ》しにされて悶死《もんし》したそうです。そして父が踏《ふ》みすべって落ちたと言いふらさせたのです。
康頼 (耳をおおう)あゝ。わしは聞くに耐《た》えない。
成経 その残酷な父の最後を聞きながら、一指《いっし》をも仇敵《きゅうてき》に触れることのできない境遇にあることは恐ろしい。その境遇にありながら、死にきれない身はなお恐ろしい。(顔をおおい、くず折れる)
[#ここで字下げ終わり]
     間。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
康頼 (森のほうより通ずる道を見る。いたく心を動かされたるさまにて)俊寛殿が帰って来られます。
成経 (顔を上げ、向こうを見る)何か考え込んでいられますね。
康頼 まるで蜻蛉《かげろう》のようにやせている。
成経 ひょろひょろして今にも倒れそうな足どりをしている。
康頼 あゝ、影のような力ない人間の姿《すがた》だ。
成経 わしはまるで人間のような感じがしません。木の株《かぶ》が歩いているような。それとも石のきれか。
康頼 あゝ、立ち止まりました。岩にもたれてため息をついている。疲《つか》れたのでしょう。
成経 沖《おき》のほうを見ています。
康頼 いや、何も見ているのではありません。空虚《くうきょ》な目つきをしています。
成経 あゝ墓石だ。ああしてじっとして動かないところはまるで墓石だ。
康頼[#「康頼」は底本では「頼康」] (身ぶるいする)あゝ。
俊寛 (登場。ため息をつきつつ、海を見入る)
成経 呼んでやりましょう。わしらにも気がつかないのだ。
康頼 (二、三歩あゆむ)俊寛殿。
俊寛 (じっとしている)
成経 (声高く)俊寛殿。
俊寛 (二人のそばに近づく)わしに力を与えてください。わしをはげましてください。わしは絶えいりそうです。
成経 (俊寛を抱《だ》く)今希望を失う時ではありません。
康頼 あゝ神々よ。
俊寛 わしはその名を呼ぶのがいやになりました。われわれにこの悲運《ひうん》を与えた神に祈るのが。正しきものの名によって兵をくわだてた勇士をかかる悲惨《ひさん》な境遇に陥《おちい》らしめ、そして王法の敵にかかる栄《さか》えをあたうるごとき不合理な神々の前に、乞食《こじき》のごとくに伏してあわれみを求めることが!
康頼 神々は正しく照覧《しょうらん》していられます。耐《た》えしのんで祈ってあきなかったらいつかはわれわれの日がきっと来るでしょう。
俊寛 あなたはほんとうにそう信じるのですか。
康頼 信じています。
俊寛 ほんとうですか。
康頼 ほんとうに信じています。
俊寛 (康頼の顔を見る)うそではありますまいね。
康頼 (顔をそむける)うそではありません。
俊寛 どうぞきょうばかりはほんとうにいってください。わしは一生懸命なのですから。わしを慰《なぐさ》めようと思って偽《いつわ》りの証《あかし》をたてないでください。わしはきょうも熊野権現《くまのごんげん》に日参《にっさん》して祈りました。しかしだめです。わしはほんとうに信じていないのですから。祈りの心はすぐにかれます。わしは宮の周囲にはえた不格好《ぶかっこう》な樹立《こだち》と、そしてちょろちょろと落ちる谷水を見ていると、何とも言えない欠乏の感じにうたれました。その感じは祈りとか望みとかいうような、すべての潤《うるお》うた感じを殺してしまうようないやなものでした。いったいこの島にはえている草や木はどうしてこんなに醜《みにく》いのでしょう。わしはすべての陰気なものを生み出すような祠《ほこら》の陰の湿地《しっち》にぐじゃぐじゃになって、むらがりはえた一種異様な不気味《ぶきみ》な色と形をした無数の茸《きのこ》を見つけました。その時わしはたまらなくなって立ち上がりました。わしは餓鬼《がき》の祠《ほこら》を拝んでいるのではないかという気がしたのです。
康頼 (力なく地面を見つつ)地獄《じごく》の底にも神はいられます。
俊寛 あゝ、あなたがそのとおりの言葉をもっと自信をもって言ってくだすったら!
康頼 法華経《ほけきょう》の中にも入於大海仮使黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国其中一人称観世音菩薩名者是諸人等皆得解脱羅刹之難《じゅおたいかいけしこくふうずいきせんぼうひょうだらせっきこくきちゅういちにんしょうかんぜおんぼさつみょうしゃぜしょにんとうかいとくげだつらせつしなん》とかいてあります。
俊寛 権威《けんい》をもって言ってください。それはうそではありませんか、あなたは信じますか。

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