なたのように苦しむのがほんとうです。私はあなたの苦しみを尊いと思います。私は九歳の年に出家してから、比叡山《ひえいざん》や奈良《なら》で数十年の長い間自分を善くしょうとして修業いたしました。自分の心から呪《のろ》いを去り切ってしまおうとして、どんなに苦しんだ事でしょう。けれど私のその願いはかないませんでした。私の生命の中にそれを許さぬ運命のあることを知りました。私は絶望いたしました。私は信じます。人間は善くなり切る事はできません。絶対に他の生命を損じない事はできません。そのようなものとしてつくられているのです。
左衛門 あなたのような出家からそのような言葉を聞くのは初めてです。では人は皆悪人ですか。あなたもですか。
親鸞 私は極重悪人です。運命に会えば会うだけ私の悪の根深さがわかります。善の相《すがた》の心の眼《め》にひらけて行くだけ、前には気のつかなかった悪が見えるようになります。
左衛門 あなたは地獄はあるとおっしゃいましたね。
親鸞 あると信じます。
左衛門 (まじめな表情をする)ではあなたは地獄に堕《お》ちなくてはならないのでありませんか。
親鸞 このままなら地獄に堕ちます。それを無理とは思いません。
左衛門 あなたはこわくはないのですか。
親鸞 こわくないどころではありません。私はその恐怖に昼も夜もふるえていました。私は昔から地獄のある事を疑いませんでした。私はまだ童子であったころに友だちと遊んで、よく「目蓮尊者《もくれんそんじゃ》の母親は心が邪険で火の車」という歌をうたいました。私はその歌が恐ろしくてなりませんでした。そのころから私はこの恐怖を持っていたのです。いかにすれば地獄から免れる事ができるか。私は考えもだえました。それは罪をつくらなければよい。善根を積めばよいと教えられました。私はそのとおりをしようと努めました。それからというもの、私は艱難辛苦《かんなんしんく》して修業しました。それはずいぶん苦しみましたよ。雪の降る夜、比叡山《ひえいざん》から、三里半ある六角堂まで百夜も夜参りをして帰り帰りした事もありました。しかし一つの善根を積めば、十の悪業《あくごう》がふえて来ました。ちょうど、賽《さい》の河原《かわら》に、童子が石を積んでも積んでも鬼が来て覆《くつがえ》すようなものでした。私の心の内にはびこる悪は、私に地獄のある事をますます明らかに証《あか
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