で悪くてよ。
墨野 しょうがないね。
仲居 ではすぐに来てください。(退場)
墨野 では行って参ります。いずれ後ほど。(退場)
村萩 二人でしましょうか。
浅香 (気の無さそうに)もう花合わせはよしましょうよ。(札をかたづけつつ)私は今晩は負けてばかりいました。(考える)ことしはどうも運勢がよくないらしい。
村萩 花合わせのようなものでも、負けると気持ちのいいものではないのね。
浅香 まったく。
村萩 あなたはこのごろおからだでも悪いのじゃなくて。
浅香 どうして?
村萩 なんだか景気がよくないのね。いつも沈んでいらっしゃるわ。
浅香 私の性分ですわ。
村萩 少しおやせなさいましたね。
浅香 そうですか。
村萩 あまり物事を苦になさるからよ。私みたようにのんき[#「のんき」に傍点]におなりなさいな。
浅香 でも何もかも情けない事だらけですもの。
村萩 それはそうよ。けれど私たちのような身で、物を苦にした日には、それこそ限りがありませんわ。
浅香 ほんとにねえ。
村萩 私も初めはあなたみたいに、考えては悲しがっていたのよ。来た当座は泣いてばかりいましたわ。けれど泣いたとて、どうもなるのではなし、くよくよ思うだけ損だと思って、いっさい考えない事にしてしまったのよ。きょう一日がどうにか過ごされさえすればいいと思うことにしたのよ。だって行く末の事を案じだしたら、心細くて、とてもこうやってはいられなくなりますもの。
浅香 私もあなたのような気分になりたいと思うのよ。またそうなるよりほかにしかたもないのですしね。けれど生まれつき苦労性とでもいうのでしょうかね。ものが気になってならないのよ。(間)私もね。もう行く末の事などそんなに考えはしないのよ。だけどきょうの一日が味気なくて、さびしくてならないの。
村萩 あなたはほんとうに陰気なかたね。あなたと話していると私までつり込まれてさびしくなるわ。そして忘れている――というよりも、忘れようと努めている不幸を新しく思い出しますわ。(間)えゝ。よしましょう。よしましょう。こんな気のめいるようなお話は。今は陽気な春ではありませんか。もっと楽しい話でもしましょうよ。
浅香 ほんに春の宵《よい》なのね。
村萩 町も春めいてずいぶん陽気になりましたよ。今晩方も店に出ていたら、格子《こうし》の外を軽そうな下駄《げた》の音などして、通る人は花のうわさ
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