へ行かれた。もうおっつけお帰りだろう。
松若 吉助のうちの吉也は私をいじめるよ。きょうもお稽古《けいこ》から帰りに、皆して私の悪口を言って。
お兼 え。悪口をいっていじめるって。ほんとかい。
松若 松若のおとうさんは渡り者のくせに、百姓をいじめたり、殺生《せっしょう》をしたりする悪いやつだって。
お兼 まあ(暗い顔をする)そんな事を言うかい。
松若 うむ。宅《うち》のおとうさんをいじめるから、私はお前をいじめてやると言って雪をぶっかけたよ。
お兼 悪いことをするやつがあるね。大丈夫だよ。私がお師匠様に言いつけてやるから。
松若 いんや。私が一度お師匠様にいいつけたら、帰り道によけいにいじめたよ。(残念そうに)道ばたの田の中に押し落としたりしたよ。
お兼 まあ。そんなひどい事をするかえ。心配おしでないよ。私が今によくしてあげるからね。
松若 うむ。(うなずく)
お兼 (戸棚《とだな》から皿《さら》に干《ほ》し柿《がき》を入れて持ちきたる)さあ、これをおあがり。秋にかあさんが干しておいたのだよ。私はちょっとお台所を見て来るからね。(裏口から退場)
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松若柿を食う。それからあたりを見回し仏壇の前に行き、立ったまま不思議そうに仏像を見る。それからすわってちょっと手を合わせ拝むまねをする。それから卓の上の本を捜し、絵本を一冊持って炉のはたにきたり、好奇心を感じたらしくめくって見る。
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お兼 (登場。前掛けで手をふきつつ)おいしかったろう。(間)何を見ているのだえ。
松若 うむ。おいしかったよ。(熱心に絵本に見入る)
お兼 今の間《ま》に少し裁縫《しごと》をしよう。(炉のはたに近く縫いさしの着物を持ちきたり針を動かす)
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両人しばらく沈黙。
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松若 かあさん。これなんの絵だえ。
お兼 (針を止めて)お見せ。(のぞき込む)それはね、お釈迦《しゃか》様という仏様がおなくなりなさった絵だよ。(針をつづける)
松若 そうかい。衣《ころも》を着たたくさんの坊さんがそばで泣いているね。
お兼 みんなお弟子《でし》たちだよ。偉いお師匠様がおかくれなされたのだからねえ。
松若 ふむ。猿《さる》だの蛇《へび》だのい
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