重要問題に関する自らの「問い」をもって読書することをすすめたい。生に真摯であれば「問い」がないはずはない。そして「問い」こそ自発的に読書への欲求を促すものである。法然はその「問い」の故に比叡山で一切経をみたびも閲読したのである。
書物は星の数ほどある。しかしかような「問い」をもってたち向かうとき、これに適切に答え得る書物はそれほど多いものではないのである。むしろそのはなはだ少ないのに意外の感を持つであろう。
かくして「問い」はおのずと書物を選ばしめる。自らの「問い」なくして手当たり次第に読書することは、その割合いに効果乏しく、また批判の基準というものが立ちがたい。
自ら問いを持ち、その問いが真摯にして切実なものであるならば、その問いに対する解答の態度が同様なものである書物を好むであろう。まず問いを同じくする書物こそ読者にとって良書なのである。かような良書の中で、自分の問いに、深く、強く、また行きわたって精細にこたえてくれる書物があるならば、それは愛読書となり、指導書となるであろう。かような愛読書ないし指導書は一生涯中数えるほどしかないものである。
たとえば私にとっては、テオドル・リップスの『倫理学の根本問題』はかような指導書の一つであった。かような指導書を見出したときには、これをくりかえし、幾度となく熟読し、玩味し、その解答を検討すべきである。手垢に汚れ、ページがほどけるほど首引きするのこそ指導書である。
広く読書することも必要であるが、指導書を精読することは一層大切である。
それは問題の所在と、その難点とを突き止め、これが解決の方法を示唆するものだからである。たとい満足な解決が与えられなくとも、解決の方法をつくし、その難点と及び限界とを良心的に示してくれるならば、われわれは深き感謝を持たねばならぬ。徹頭徹尾会心の書というものはあるものではない。
私の場合でいえば、リップスの倫理学も私には充全な満足を与えてはくれなかった。かえって倫理学というものの限界と、失望とを私に与えた。私はこの書を反復熟読し、それを指導原理として私の実践生活を規範しようとさえもしたが、しかし結局はそれも破綻して、私は倫理学以上の、「善悪を横に截る道」を求めて、宗教的方法の探求へと向かったものであった。
がここでいいたいのは、かような指導書の精読ということである。かような指導書を発見するには、自分の生の問いを抱いて、その問いを同じくし、解決を与えんと擬する書物を捜せばいいのである。
下宿を捜すにも実際にかような仕方で、要求の条件に適するものを、数多くの中から選んだわけである。
同一人にとっても、問いの所在ならびに解決方途の異なるにしたがって、かような指導書もまた推移していく。私にとってはそれはカルル・ヒルティの『眠られぬ夜のため』であった時期もあった。『歎異鈔』であった時期もあった。禅宗の普覚大師[#(ノ)]書であったときもあった。中山みき子の『みかぐら歌』であったときさえあるのである。
かような時期においては反復熟読して暗記するばかりに読み味わうべきものである。
一度通読しては二度と手にとらぬ書物のみ書庫にみつることは寂寞である。
自分の職能の専門のための読書以外においては、「物識り」にならんがために濫読することは無用のことである。識見は博きにこしたことはないが、そのためにしみじみと心して読まぬのでは得るところが少ない。浅き「物識り」を私はとらない。
「物識り」と「深き人」とは同一人であることはまれである。
特に実践の問題においては、「知る」とは「行なう」ことと不可分である故に、なおさら物識りにはなり難い事情があるのである。
読書とは単なる知性の領域にある事柄ではない。それは情意と、実践との世界に関連しているのである。特に東洋においては、それはむしろ実践のためにあるものなのであった。
しかしながら前にも述べた如く、良書とは自分の抱く生の問いにこたえ得る書物のみではなく、生の問いそのものをも提起してくれるものはさらに良書ではある。「いかに問うか」ということは素質に属する。天才は常人よりももっと深く、高く、鋭く問い得る人間である。常人が問わずしてみすごすことを天才は問い得るのである、林檎はなぜ地に落ちるか? これはかつてニュートンが問うまで常人のものではなかった。姦淫したる女を石にて打つにたうる無垢の人ありや? イエスがこの問いを提出するまで誰も自分の良心に対してかく問い得なかった。財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルクスが問うてみせるまで、常人はそれほどにも自分らの禍福の根因であるこの問いを問うことができなかった。
天才の書によってわれわれは自分の力では開き得ない宇宙と人間性との奥深き扉をのぞき得るの
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