ら後からと通りに続き、法華経をほめる歓呼の声は天地にとよもして、世にもさかんな光景を呈するのである。フランスのある有名な詩人がこの御会式の大群衆を見て絶賛した。それは見知らぬ大衆が法によっておのずと統一されて、秩序を失わず、霊の勝利と生気との気魄がみなぎりあふれているからである。
日蓮の張り切った精神と、高揚した宗教的熱情とは、その雰囲気をおのずと保って、六百五十年後の今日まで伝統しているのだ。
彼はあくまでも高邁の精神をまもった予言者であり、仏子にして同時に国士であった。法の建てなおし、国の建てなおしが彼の一生の念願であった。同時代への燃えるような愛にうながされて、世のため、祖国のため憂い、叫び、論じ、闘った。彼は父母と、師長と、国土への恩愛を通して、活ける民族的、運命的共同体くに[#「くに」に傍点]への自覚と、感謝と、護持の念にみちみちていた。彼はその活きたくに[#「くに」に傍点]への愛護の本能によって、大蒙古の侵逼を直覚し、この厄難から、祖国を守らんがために、身の危険を忘れて、時の政権の把持者を警諫した。彼は国本を正しくすることによって、世を済い、人間の精神を建てなおすことによって国を建てなおそうとして奔命した。彼は時代の悪を憎み、政治の曲を責め、教学の邪を討って、権力と抗争した。
人はあるいは彼はたましいの静謐《せいひつ》なき荒々しき狂僧となすかも知れない。しかし彼のやさしき、美しき、礼ある心情はわれわれのすでに見てきた通りである。それにもかかわらず、何故彼はかくの如く、猛烈に、火を吐く如くに叫び、罵り、挑戦し、さながら僧にしてまた兵の如くに奮闘馳駆しなければならなかったか。
それは天意への絶対尊信と、その奉行のための使命の自覚と、同時代への関心と、祖国の愛護と、共存大衆への本能的悲愍につき動かされて、やむにやまれなかったのである。
同時代への関心を持たぬ普遍妥当の真理の把持者は落ち着いていられる。民族共同体の運命に本能的な安危を感じない国際主義者は冷やかに静観してすまされる。共存同悲の大衆へのあわれみが肉体的な交感にまで現実化していない者は、いわゆる「助けせきこむ」気持が理解できないのである。
われわれは宗教家である日蓮が政治的関心を発せずにいられなかった動機が実感できる。街頭に立って大衆に呼びかけ、政治を批判し、当局に対決をいどみ、当時の精神
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