学生と先哲
――予言僧日蓮――
倉田百三

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)熱き腸《はらわた》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)海辺|旃陀羅《せんだら》が子也

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《くら》われ

 [#…]:返り点
 (例)依[#(テ)][#二]了義経[#(ニ)][#一]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)依[#(テ)][#二]了義経[#(ニ)][#一]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)返す/\も
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一 予言者のふたつの資格

 日蓮を理解するには予言者としての視角を離れてはならない。キリストがそうであったように、ルーテルがそうであったように、またニイチェがそうであったように、彼は時代の予言者であった。普通の高僧のように彼を見るのみでは、彼のユニイクな宗教的性格は釈かれない。予言者とは法を身に体現した自覚をもって、時代に向かって権威を帯びて呼びかけ、価値の変革を要求する者である。予言者には宇宙の真理とひとつになったという宗教的霊覚がなければならぬのは勿論であるが、さらに特に己れの生きている時代相への痛切な関心と、鋭邁な批判と、燃ゆるが如き本能的な熱愛とをもっていなければならない。普通妥当の真理への忠実公正というだけでなく、同時代への愛、――実にそのためにニイチェのいわゆる没落[#「没落」に傍点]を辞さないところの、共存同胞のための自己犠牲を余儀なくせしめらるる「熱き腸《はらわた》」を持たねばならない。彼は永遠の真理よりの命令的要素のうながしと、この同時代への本能愛の催しのために、常に衝き動かさるるが如くに、叫び、宣し、闘いつつ生きねばならなくなるのだ。倉皇として奔命し、迫害の中に、飢えと孤独を忍び、しかも真理のとげ難き嘆きと、共存同悲の愍《あわれ》みの愛のために哭《なげ》きつつ一生を生きるのである。「日蓮は涙流さぬ日はなし」と彼はいった。
 日蓮は日本の高僧中最も日本的性格を持ったそれである。彼において、法への愛と祖国《くに》への愛とがひとつになって燃え上っ
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