ない。比較的に見るとき、レディにはそのナイーヴさ、素純さ、処女性の新鮮さにおいて、玄人《くろうと》にはとうてい見出されない肌ざわりがあるのだ。「良家の娘」という語は平凡なひびきしか持たぬが、そこにいうにいわれぬ相異があるのだ。一度媚びを売ることを余儀なくされた女性は、たとい同情に価はしても、青年学生の恋愛の相手として恰好なものではない。
 もとより「良家の娘」にもそのマンネリズムと、安易さと退屈とはあろう。しかしそれは熱烈なる「愛人教育」によって打破し、指導し得られぬことはない。だがひとたび不幸にしてその女性としての、本質を汚した女性、媚を売る習慣の中に生きた女性を、まだ二十五歳以下の青年学生の清き青春のパートナーとして、私は薦めることのできないものである。
 彼女たちにはまた相応しき相手があるであろう。
 いわゆる玄人でない職業婦人は別問題である。今日の状勢において、これはレディの延長と見なければならぬ。卒業後の結婚の物質的基礎を考えるとき、夫婦の「共稼ぎ」はますます普通のこととなり行く形勢にある。のみならず職業婦人には溌剌とした知性と、感覚的新鮮さとを持った女性がふえつつある。古き型の常套的レディは次第に取り残され、新しき機能的なレディの型が見出されつつある。青年学生の青春のパートナーとして、私が避けたいのは媚を売る女性のみである。
 私の経験から生じる一般的助言としては、「恋愛に焦《あせ》るな」「結婚を急ぐな」と私はいいたい。二十五歳までの青年学生が何をあわてることがあろう。美しき娘たちは後から星の数ほどむらがり、チャンスはみちみちている。あまり早期に同じ年ごろの女性と恋愛し、結婚の約束をしてしまうことは、後にいたってあまり好結果でないことが少なくない。ことに不幸な娘に同情してそうするのが一番よくない。年齢の差が少なくとも五つ、六つ――十くらいはありたいが、二十二、三歳で相手を求めればどうしても齢が近すぎる。といって、十四、五の少女では相手になれまい。

     八 最後の立場――運命的恋愛

 しかしこうした希望はすべて運命という不可知な、厳かなものを抜きにして、人間的規準をもって、きわめて一般的な常識的な、立言をしているにすぎないのである。
 最も厳かな世界では一切の規準というものはない。そこでは恋愛もまた運命である。選択は第二義にすぎぬ。童貞の学生が年増の女給と愛し合おうと、盲目の娘と将来を誓おうと、ただそれだけで是非をいうことはできない。恋愛の最高原理を運命におかずして、選択におくことは決して私の本意ではない。それは結婚の神聖と夫婦の結合の非功利性とを説明し得ない。私は「運命的な恋愛をせよ」と青年学生に最後にいわなければならないのだ。私自身は恋愛が選択を越えたものであることを認め、またそうした恋をせずには満足できなかったものだ。青年学生がそれに耐え得るほど強く、人生の猛者であり、損害と不幸とを顧みずして[#「して」に傍点]運命を愛する真の生活者でありたいならば、私はこの保身と幸福にはまるで不便な、「恋愛運命論」によって、その恋愛を指導することを勧めたい。
 われわれはちょうどわれわれの幸福と成功とに恰好な女性と、恰好な時機に、そうである故に[#「故に」に傍点]、恋に陥るとはかぎらない。何の内助の才能もなく、一生の負荷となるような女性と、きわめて不相応な時機に、ただ運命的な恋愛のみの故で、はなれ難く結びつくことはあり得るものだ。そして恋愛と結婚との真実の根拠はこの運命的な恋愛のみの上にあるのであって、その他は善悪とも付加条件にすぎないのである。この相手の女性は美しいから、善いから、好都合だから私の妻なのではない。二人の恋愛の中に運命を見たから、二人は夫婦なのだ。
 もとより夫婦を結ぶ運命は恋愛を通してあらわれ、恋愛の心理は無意識選択のはたらきを媒介とする。しかし二人の結合を不可離的に感ぜしめる契機はこの選択になくして、かの運命にあるのだ。
 私のこのような信念からは、青年学生への、実際的に有益な、恋愛についての心得を導き出すことは困難である。実際的とか、有益とかいう観念からして、もはや厳しい真理から逸《そ》れたものだからだ。
 恋愛を一種の熱病と見て、解熱剤を用意して臨むことを教え、もしくは造化の神のいたずらと見てユーモラスに取り扱うという態度も、私の素質には不釣り合いのことであろう。
 かようにして浪曼的理想主義者としての私の、恋愛運命論を腹の底に持っての、多少生真面目な、青年学生諸君への助言のようなものができあがったのである。[#地から2字上げ](一九三七・四・二〇)

     参考書のたぐい

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Platon : Symposion, Phaidros.
Dante : Vita nuova.
Goethe : Die Leiden des jungen Werthers.(茅野訳)
Schopenhauer : Die Welt als Wille und Vorstellung.(姉崎訳)
Stendhal : De l'amour.(前川訳)
Russell : Marriage and morals.
Ellen Key : Love and marriage.(原田訳)
Freud : Vorlesungen zur Einfahrung in die Psychoanalyse.(安田訳)
Kollontai : A great love.(中島訳)
Tolstoi : Anna Karenina.(中村訳)
Shakespeare : Romeo and Juliet.(坪内訳)
Maeterlinck : 〔Pelle'as et Me'lisande.〕
D'anunzio : Il trionfo della morte.
Rousseau : Confessions.(石川訳)
Turgenev : Die erste Liebe.(米川訳)
Pushkin : Onegin.(米川訳)
Heine : Buch der Lieder.
Novalis : Hymnen an die Nacht.
Romain Rolland : Le jou de l'amour et de la mort.(片山訳)
D. H. Lawrence : Sons and lovers.(三宅訳)
〔Andre' Gide : La porte e'troite.〕(山内訳)
万葉集、竹取物語、近松心中物、朝顔日記、壺坂霊験記。
樋口一葉 にごりえ、たけくらべ
有島武郎 宣言
島崎藤村 春、藤村詩集
野上弥生子 真知子
谷崎潤一郎 春琴抄
倉田百三 愛と認識との出発、父の心配
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底本:「青春をいかに生きるか」角川文庫、角川書店
   1953(昭和28)年9月30日初版発行
   1967(昭和42)年6月30日43版発行
   1981(昭和56)年7月30日改版25版発行
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2005年9月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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