理拠があるであろうか。また本人の一生の幸福から見て、そうすることが損失であろうか。私は経験から考えてそうは思われない。女を知[#「知」に傍点]ることは青春の毒薬である。童貞が去るとともに青春は去るというも過言ではない。一度女を知[#「知」に傍点]った青年は娘に対して、至醇なる憧憬を発し得ない。その青春の夢はもはや浄らかであり得ない。肉体的快楽をたましいから独立に心に表象するという実に悲しむべき習癖をつけられるのだ。性交を伴わぬ異性との恋愛は、如何にたましいの高揚があっても、酒なくして佳肴に向かう飲酒家の如くに、もはや喜びを感じられなくなる。いかに高貴な、楚々たる女性に対してもまじりなき憧憬が感じられなくなる。そしてさらに不幸なことには、このことは人生一般の事象を見る目の純真性を曇らすのだ。快楽の独立性は必ず物的福利を、そして世間的権力を連想せしめずにはおかぬ。人間がそうした見方を持つにいたればもはや壮年であって、青春ではないのである。
 事実として青春の幸福はそこから去ってしまうのだ。如何に多くのイデアリストの憧憬に満ちたる青年が、このことからたちまち壮年の世俗的リアリズムに転落したことであろうか。
 かりに既婚者の男子が一人の美しき娘を見るのと、未婚者の男子がそうするのとでは、後者の方がはるかに憧憬に満ちたものであることは容易に想像されるであろう。それが未婚者の世界の洋々たる、未知のよろこびなのだ。その如くに童貞者にあるまじりなき憧憬は青春の幸福の本質をなすものであってひとたび女を知[#「知」に傍点]るならば、もはや青春はひび割れたるものとなり、その立てる響きは雑音を混じえずにはおかなくなる。そしてそれは性の問題だけでなく、人生一般の見方に及ぶのである。いかなるイデアリストの詩人、思想家も、彼が童貞を失った後にそれ以前のような至醇なる恋愛賛美が書けるはずはない。自分の例を引けば、「異性の内に自己を見出さんとする心」を書いたとき私はまだ童貞であった。性交を賛美しつつも、童貞であったのだ。
 私はかようなことに好んでこだわるのではない。青春にとってこれは重要なことであって触れずにおれないのだ。誰しも青春の長いことを望まぬものはあるまい。その長さは人生の幸福をはかる重要な尺度である。これは青春のすぎ去った者のしみじみ思うところである。そして青春の幸福を長く保とうとねがうならば、童貞を長く保たねばならぬ。学生時代を童貞ですごすことは一生から見て、少しも損失ではない。これは冷淡な教父の如き心でいうのでなく、現実的な考慮を経ていうのである。つまり女を知[#「知」に傍点]るの機会は、もし欲するなら、壮年期に幾らでもあるからである。
 もっとも二十五歳まで女を知[#「知」に傍点]らなければ、知[#「知」に傍点]りたいための悩みを持つであろう。しかしその悩みは青春そのものの本質なのだ。それが青春の独特な歓楽をつくり出すところの種箱なのだ。それが青年を美しくし、弾力を与え、ものの考え方を純真ならしめる動機力なのだ。
 私は青春をすごして、青春を惜しむ。そして青春が如何に人生の黄金期であったかを思うときにその幸福を惜しめとすすめたくなるのだ。そしてそれには童貞をなるだけ長く保つべきだ。
 しかし何かの運命でそれをすでに失ってしまったものはやむを得ない。そのひび[#「ひび」に傍点]の薄れるように、そのまわりに結締組織のできるように修養すべきだ。傷をいやすレーテの川、忘却というものも自然のたまものだ。絶対的にのみ考えなくてもいい。童貞の青年といえども、すでに自慰を知らぬものはなく、肉体的想像力を持たぬものもあり得ない。全然とり返しがつかぬという考え方はこれは天国的なものでなく、悪魔の考え方である。
 しかし童貞を尊び、志向を純潔にし、その精神に夢と憧憬とを富ましめるということは、青年の恋愛にとって欠くべからざる心がけである。

     五 相互選択と男性のイニシアチヴ

 青年男女はその性の選択によって相互に刺激し合い、創造と淘汰との作用がおのずと行われる。青年や、娘の美の新しい型が生み出される。これは個人と個人との間だけでなく、ひとつのゼネレーションを通じてもあらわれる。青年たちがみな健康な、朗らかな、感覚的で多少茶目なところのある娘たちを要求すれば、そうした娘たちがあらわれてくる。娘たちが逞しく、しかし渋みがあって、少し憂鬱な青年を好めばそうした青年が本当にあらわれてくる。かようにしてクローデット・コルベールに似た娘や、クラーク・ゲーブル型の青年がちまたに見られるようになるのだ。
 これは恐ろしいことだ。青年たちがどんな娘を好み娘たちがどんな青年を欲するかは実に次のゼネレーションの質と力と色とを動かすのだ。
 そこで青年男女には、人類の健康と進
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