をもって認めておかなくてはならぬ。この無理をどう扱うかということが生活のひとつの知恵である。
 性の欲求、恋愛は人間の本性上、ことに男子にとっては、自由を欲するものであって、それはまた生活精力上、審美上、優生学上の機微とからまり、自然の不思議な意志が織りこまれているものである。この天然と生命との機微を無視するキリスト教的、人道主義は、簡単に、一夫一婦の厳守を強制するのみで、その無理に気がつかない。それは夫婦というものが、人間という生きもののかりのきめであることを忘れるからである。この天与の性的要求の自由性と、人間生活の理想との間に矛盾が起こるのはむしろ当然のことである。この際自由の抑制、すなわち善というわけにいかぬものがある。
 この男性にあらわれる生活精力上、審美上、優生学上の天然の意志については、婦人は簡単に獣慾とか、不貞操とか考えたのでは実相にあたらない。したがってただそれだけで、夫の人格を評価して、夫婦生活にひざまずいたりするのは浅慮である。
 天然と歴史とは往々にして偉大なる男性に、超家庭的の性格と使命とを与える。すべての男性が家庭的で、妻子のことのみかかわって、日曜には家族的のトリップでもするということで満足していたら、人生は何たる平凡、常套であろう。男性は獅子であり、鷹であることを本色とするものだ。たまに飛び出して巣にかえらぬときもあろう。あまり小さく、窮屈に男性を束縛するのは、男性の世界を理解しないものだ。小さい几帳面な男子が必ずしも妻を愛し、婦人を尊敬するものではない。大事なところで、献身的につくしてくれるものでもない。要は男性としての本質を見よ。夫としてのたのみがいを見よ。婦人に対する礼と保護との男性的負荷を見よ、事業と生活に対する熱情と欲望とを見よ。そしてこれらのものにして欠けていないならば、あまりに窮屈な、理解のないことをいうな。極端な束縛とヒステリーとは夫の人物を小さくし、その羽翼を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]ぐばかりでなく、また男性に対する目と趣味との洗練されてないことを示すものに外ならない。
[#地から2字上げ](一九三四・八・三〇)



底本:「青春をいかに生きるか」角川文庫、角川書店
   1953(昭和28)年9月30日初版発行
   1967(昭和42)年6月30日43版発行
   1981(昭和56)年7月30日改版25版発行
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2005年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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