に来ると涙がこぼれる。独りで祈ってるときはさほどでない。皆と一緒に祈ると涙がこぼれる。互いに罪を犯さずにはいられない呪われたる人間の子孫たちが、神の前に出て互いに赦して祈るのだと思うと私は深く感動する。そしてこのときばかりは、黙祷でなくピープルとともに神を拝する教会の存在の理由があるように感じる。私はみずからを省みてばかりいれば他人に対して何ごとをも働きかけることはできず、じつに心中不自由をきわめ、しかもそのような心構えがあっては人と人との交わりの自由な楽しさは失せてしまうことを惜しむがゆえに、この頃は親鸞聖人のようなものの考え方がなつかしくなりだした。たとえば友達に冗談のいいたいときにはこう思いたい、「私はどうせ間違いだらけである。いま悪くいわないにしても外に悪いことをいわないというのではないから、いわして貰おう」と。もし愛の心を深く知り、互いの運命をおそれていれば、それ以上は相互の理解の上に「赦し」を期待して、訴えもし、責めもし、冗談もいいたい。その間の表現は自在を極めるに至るこそ人間と人間との接触の理想であろう。魚住氏が「ケーベル先生の前に出れば自由になれる」といっているがその幸福は小さいものではない。あまりに鋭い近代人はその幸福を失いかけている。愛と赦しの心持ちを知った人と人との間にのみ滑らかな温かい従属は生まれる。私はくれぐれも善い、人間らしい心になりたい。
[#地から2字上げ](一九一七・一〇・一五)
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『出家とその弟子』の上演について
『出家とその弟子』がこのたび当地で上演されることについては、私はいま本当にハンブルな心持ちになっている。私は今この作の上演によって私の芸術的栄えの日を迎えるという気持ちはほとんどしなくて人を躓《つまず》かせはしまいかと思う懸念と弁解とが心の中に満ちている。そのことだけはどうしても書いておかなくては気にかかるから要点だけを書かして貰いたいと思う。第一にこの作は厳密に親鸞上人の史実に拠《よ》ったものではない。この芝居を見ても親鸞上人およびその弟子たちが(弟子という言葉も親鸞自身にはピッタリした言葉でなかったろう)、このとおりのことを実際行なったものと思って貰っては困る。私は親鸞を画いて虎を画いて猫に似ているといわれても甘んじて受ける気持ちなのだから。私の書いた親鸞は、どこまでも私の親鸞である。私の心に触れ、私の内生命を動かし、私の霊のなかに座を占めたかぎりの親鸞である。したがってこの作に表われた私の思想もむろん純粋に浄土真宗のものではない。親鸞および浄土真宗の研究は、親鸞の実伝とその正依の経典とに拠らなければならない(むろんそれだけで親鸞の本質が掴めるとは思わないが)。第二にこの作には誰でも知っているようにきわめて多くの時代錯誤がある。しかしこれは私はあまり気にしていない。しかしむろんこれを誇ろうとは思っていない。もし少しの時代錯誤もなく、私の表わしたいと思う親鸞を表わし得たらこれにこしたことはないのである。かく多くのアナクロニズムのできたのは、私が故実に通じていないためばかりで無く、それに拘泥することによって私の表わそうとする親鸞が生き生きとして近代の心に触れてこないことを恐れるため、それよりもむしろそういうことを気にしていられないほどあれを書いたときの私の心持ちが切迫していたためである。第三にあの作は真宗のあるいは一般に宗教の教義を説明するために書いたのではない。あの作がいかばかりよく教義を解りやすく語っているかというようなことは、私の興味の中心では無いのである。私のあの作を書いた中心の興味は、人間の種々なる心持ちとこの世の相に対する限りなく深き愛である。この点に目をつけなくてはあの芝居は見ても面白くあるまい。また作者としてもその他の視点からの種々なる批評は私の心持ちと適うことはできない。ことにあの作は私が二十六歳のときの作である。そのとき私の心は切実な青年期の悩みの終わり頃、ことに二人の姉の相ついだあまりに早き死のすぐ後、一燈園《いっとうえん》から帰ったばかりの、人生の悲哀と無常の心持ちに満ちているときに書いたものである。ちょうど私が一燈園に西田天香氏を訪れる前、折蘆遺稿《せつろいこう》で読んで感動した「墨染の衣を着るになほ若し綾あるきぬはきのふ脱ぎけり」というような気持ちのとき書いたものである。私はそのときあの西国巡礼の歌を聞いてもすぐに涙の滾《こぼ》れるような気持ちであった。したがってあの作に強い劇《はげ》しいところが欠乏しているというのも私がそのときそういう方面のムードのなかに住んでいなかったためである。親鸞の性格にそういう方面が欠けていると私が解釈しているのではない。芸術品に対するとき人はいうまでもなくその作のモチーフを見なくてはならない。そのモチーフこそ作者がその作を書いた生命であって、そのほかの点で褒《ほ》められても貶《けな》されても作者の心には適わないものである。人はあの西国巡礼の歌を聞くとき、それに強い劇《はげ》しさが現われていないからと言ってそれを貶するであろうか。もしそういう人があったら、その人の気持ちはあの巡礼の歌を聞くのに適わしくないというまでのことである(もとよりそういう気持ちでないときも、またそういう気持ちにばかりなっていられないときもある)。人生に対する悲哀と無常の意識――それはもはや滂沱《ぼうだ》たる涙となって外に流れないけれども、深く深く心のなかに内攻し、その人の世相を眺める目はかぎりなき悲しみを内に秘めているような気持ち、いわば一種の喪の気持ち、そういう気持ちであの芝居を見てくださることを作者は望む。それは人生を享楽する気持ちではむろんない。人生において戦う気持ちでもない。人生を観照するという気持ちはやや近いがやはり違う。愛を内に湛《たた》えた目でこの世のあるがままの相を眺め護る、いわば人生の相のなかに仏を見いだす心持ちである。そういう心持ちであの芝居は見て貰いたい。あの作のモチーフはそこにある。それ以外の視点では見てもらってもつまらない気がする。むろん私が他のモチーフから作をすることはあろう。しかしあの作はそういうモチーフで書いたのである。たとえば釈迦の臨終に蛇や鳥の泣いている画を見て母親に尋ねる子供、その子供の着物を縫いながら画解《えと》きをしてやる母親の心、あるいはまた師の体に雪の降りかかるのを、自分の衣で蔽うようにする若い弟子の僧の心、そういう心持ちあるいは光景がただちに見る人の感覚の興味とならなくてはならない。その光景の意味を考えてしかる後初めて是非の判断をするような人は一般に劇を見るのに、ことにあの劇を見るのに適わないものである。
私はあの作において、人間の種々の貴き「道」について語り得ていることは私のひそかに恃《たのみ》としているところではあるが、それは「道」を説くために[#「説くために」に傍点]書いたのではなく、生活に溶かされたる「道」の体験を書いたのである。第四にあの作は人間の細かな心持ちのさまざまな相やニューアンスの展開であって動作に乏しい。それもハンドルングばかりに動かされるようなことではあの作はおもしろくないに違いない。純な、潤うた、細々とした心を作者は観客に要求する。第五に私が最も懸念するのはこの作が人を躓《つまず》かせはしまいかということである。人の精進を鈍くするようなことはないかということである(よく見て貰えばそういうことはないと思うが)。これはけっして私が努力や精進を重んじないからではない。私のモチーフがそこにないためである。私は真実の意味において戒律を生かしたいと思っているものである。その点では私は西田天香氏を中心とした一燈園の生活を尊敬し、病気のせいとはいいながら、今の私の暮らし方を恥ずかしく思っているものである。また天香氏があの作を愛してくだされながらも不満足に思われる理由も私にはよく解っている。あの作が現実の紛糾を解決する力がない、凄いところが無いといわれるのも肯かれる。それは私のあの作のモチーフが問題を(恋愛の問題)さえも解決する点になかったからであることは前にもいったとおりであるが、たとい私の目的が問題の解決にあるとしても私があの作を書いたときにはむろんのこと、現在においてもその成案は持ってないことをここに告白する。しかし私はその問題の解決に興味を感じないのではない。それは私の絶え間のない努力である。その点は現在および将来の問題として私の前に厳に横たわっているのである。私がもしその点に重大なる関心を持っていないならば、あの作と一燈園との縁はないといってもよい。むしろ一燈園の生活の躓きとなるばかりである。一燈園がこのたびの上演の主催者になってくださったということは私の名誉と思いまた私の青年期の懐しい思い出を甦らせて本当に私にとって嬉しいことであるが、それよりもなお意味あることはあの作に盛られていないで残っている、しかしわれわれの人間として必ず関心しなければならないこの世の実際問題の合理的解決についての努力を一燈園が中心の問題として取り扱っていることである。私はその方面についての努力を人々がゆるがせにするようにあの作が働きかけることを何より心配しているのであるから。あの作の上演が縁となって人々が一燈園の生活に注意するようになるのを望まざるを得ない。この世の相をあるがままに愛する心と、この世を改良して神の国と成そうとする努力とは私は二つともなくてならぬものであり、また相互に矛盾するものではなく、むしろ相互を義《ただ》しくするものであると思っている。私が一燈園や新しき村の仕事を尊敬し、できるだけ助けたいと思うのはそのためである。ただあの作のモチーフがその点にないというまでのことである。この点についてくれぐれも観客の躓きとならないことを祈る。なおあの芝居を観てくださる人は是非あの本を読んできてくださることをお願いしたい。でないと種々の点において誤解があろうと思われるから。最後にこのたびの上演について尽力してくださった人々に深く感謝する。
[#地から2字上げ](一九一九・一一・一八於一燈園)
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千手観音の画像を見て
自分はこの間、千手観音の画像を見た。そしてある深い感じに打たれた。自分が常々、こちらに引越してからはことに迫って感じている、この「地の約束」「人身《にんしん》の分限」というものについての感慨をいまさらのごとく、新しく感じさせられた。自分は大森に来てからいろいろと考え抜いたあげく、玄関の入口の壁に次のごとく書いた貼り紙をした。「医師の注意により、面談は水曜日と仮りに[#「仮りに」に傍点]決めさせて戴きます。ただし切迫した心持ちの方にはいつにてもお目にかかります」。自分はこの貼り紙を自分で書いてピンで貼ったが、そのときじつに淋しい気がした。三年前に自分は「文壇への批難」のなかの一節に次のごとく書いている。「面会日を厳守するのはおそらく最上の生活法ではあるまい。釈迦やキリストはきっとそういう生活法を嫌ったであろう。それを気にしつつやむを得ず決めているのはいい。それを当然と思っている人は、おそらく人と人との接触、天国の空想に鈍い人だろう。釈迦やキリストの域には上れない人だろう」。自分は今でもこの一節を少しも取り消さなくてはならないと思っていない。しかし自分は面会日を決めたのである。そしてこのことは自分には深く気にならずにはいられない。それは自分に、自分の日々の生活における他の、じつに多くのこれに類する限界の意識を連想せしめる。ときには、無常の感じにさえ深められる。本来「隣人としての愛」においては、甲を愛することは乙を愛することと原理上、また心持ちの上からも少しも矛盾するものではない。もし自分に千手観音のごとく千本の手がありさえすれば、万人の個々の人を、自分が最も親近な、常にともに棲んでいる特殊の隣人――家族を愛するようにしみじみと、行き届いて愛することができるはずなのである。しかし事実としては、自分が相当に愛の奉仕をなしていると思うことのできるほど
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