ノ於て悪なのではない。実在体系の矛盾衝突より起るのである。罪悪は宇宙形成の一要素である。罪を知らざる者は真に神の愛を知ること能《あた》はず、苦悩なき者は深き精神的趣味を理解する事は出来ない。罪悪、苦悩は人間の精神的向上の要件である。されば真の宗教家は是等《これら》のものに於て神の矛盾を見ずして却《かへ》つて深き恩寵を感ずるのである。(善の研究――四の四)
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といっている。かくて氏の哲学は一の楽天観をもって終わっているのである。
五
私らは哲学の批評に関して芸術的態度をとりたい。人を離れて普遍的にただその体系が示す思想だけを見たくない。興味の重点をその体系がいかばかり真理を語れるかという点にのみおかずして、その思想の背後に潜む学者の人格の上にすえつけたい。古来幾多の哲学体系は並び存して適帰するところを知らない。もし哲学をただ真理を聞かんがためのみに求むるならば、かくのごときは哲学そのものの矛盾を示すというような非難も起こるであろう。しかしながら哲学はその哲学者の内部生活が論理的の様式をもって表現された芸術品である。その体系に個性の匂いが纏う
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