`ェの獅子と共に Ich will と叫んで頭を振るよりほかはない。しかしこの命令が自己の内部より発したとき、自己内面の本然的要求の上に基礎を置いたとき、われらはその声に傾聴しなければならない。かくて自律の道徳は起こり、真実の自由は始まる。すなわち氏の倫理思想は自然主義である。
この自然主義が誤れる刹那の観念の上に立つとき刹那主義が生まれる。刹那主義には確かに厳粛なる一面の真理が含まれている。かつ空しき過去の追憶と、未来の映像とに生きんとする者に、「汝らは何処《いずこ》に立てりや」と問うものはこの主義である。現実主義が確固たる足場を得んがために、その哲学的反省を「時間」に関しておのれみずからの上に加うることによりて生じたのである。われらはただ現在にのみ立ってる。未来も過去も内容なき空殻である。ショウペンハウエルもその主著に次のごとく論じている。
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Die Form der Erscheinung des Willens also die Form des Lebens oder der 〔Realila:t〕 ist eigentlich nur die G
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