xperience の和訳である。そのゼームスが自己の認識論の立脚点をプラグマチズムと名づけたのはピアースの用語を踏襲したのであって、それまでは Radical empiricism と呼んだのである。その意味は経験のほか何ものをも仮定せずというにある。してみれば西田氏の認識論の出発点はプラグマチズムであるといっても差支えはあるまい。しかしながらこれをもってただちに氏をプラグマチストと解釈するならば大なる誤解である。少なくとも田中王堂氏がプラグマチストであるがごとき意味において、西田氏はけっして単なるプラグマチストではない。氏は認識論の出発点としてはプラグマチズムの純粋経験を採るにもかかわらず、真理の解釈に関してはプラグマチズムと背を合わせたるがごとき態度を持している。すなわちプラグマチズムは真理の解釈に関して著しく主観的態度をとり、真理の標準は有用であり、実際的効果であり、われらの主観的要求がすなわち客観的事実であるというのである。しかるに西田氏は真理の解釈に対して厳密に客観的態度をとり、主観の混淆を避け、主観的要求によりて色づけらるる意味を斥《しりぞ》けて、純粋に事実そのままの認
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