フ根本思想は今日といえども依然として変じないといっておられる。しかのみならず、氏みずから語るところによれば五十歳を過ぎるまでは大きな著述はしないとのことであれば(氏はいま四十三歳である)、われらが氏の沈痛なる思索を傾注せられた結果として、深遠な思想の盛り溢れた重々しき第二の著書を手にするときはなお遠いことと思うから、ひとまず前述の著書および論文に表われたる氏の思想およびこれらを透して窺《うかが》わるる氏の人格について論じてみたいと思うのである。私はみずから揣《はか》らずして氏の思想の哲学的価値に関して、是非の判断を下そうとするのではない。哲学者としての氏の思想および人格をあるがままに、一の方針の下に叙述しようと試みるのである。論者の目的は氏の解釈である。その態度は valuation でなくして exposition である。
二
青草を藉《し》いて坐《すわ》れ。あらゆる因襲的なる価値意識より放たれて、裸のままにほうり出されたる一個の Naturkind として、鏡の如き官能を周囲に向けてみよ。大きな蒼い円味を帯びた天はわれらの頭上に蔽い被ぶさって、光をつつんだ白雲
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