黷轤ナある。これをしも悲痛と言おう。されどされど悲痛という言葉の底には顫えるような喜びが萌《きざ》してるではないか。悲痛に感じ得るものは充実せる生を開拓する大なる可能性を蔵してるということは今の私には天堂の福音のごとく響くよ。私はまだまだライフに絶望しない。冷たい傍観者ではあり得ない。
この夏休暇以来、君と僕との友情がイズムの相異のために荒涼の相を呈せざるを得なくなるにつれて、私の頭のなかには「孤独」という文字が意味ありげに蟠っていた。私は種々の方面からこれを覗いてみた。ああ、しかし孤独という者はとうてい虚無に等しかったのである。私が一度認識という事実に想到するとき絶対的の孤独なるものは所詮成立しなかったからである。われらは認識する。表象はわれらの意識の根本事実である。表象を外にして世の中に何の確実なる者があろう。「表象無くんば自我意識無し」元良《もとら》博士《はくし》のこの一句のなかには深遠な造蓄が含まれている。認識には当然ある種の情緒と意欲とを伴う。これらの者の統合がすなわち自我ではないか。われらは対象界に対して主観の気息を吹きかけ、対象界もまた主観にある影響を及ぼす。かかる制約
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