@りいださんには適しなかった。自然の足下に恐縮して心を形の質とせんには謙虚でなかった。ただ神経の鋭敏と官能の豊富とに微かな気息を洩らして、感情生活の侵蝕に甘んずるにはあまりに真率であった。現実生活をしていっそうよきものたらしめんがために自然力の偉大を悟り、生の悲痛を感じ、神経のデリカシイと官能のあでやかさとを獲得したのである。私はこの意味において自然主義存在の理由と価値とを認容する。自然主義を眺めた私の心の目はショウペンハウエルの観念主義の色調を帯びて、ここに一種の特殊な見方に陥ったのである。「世界は吾人の観念にほかならない。主観を離れて客観は無い。自然は主観の制約の下にある」といった命題はいかに私に心強く響いたであろう。しかしまた裏へ回って「見ゆる世界の本体は意欲である。世界は意志の鏡であり、またその争闘場裡である」と聞いたとき慄然として戦《おのの》いたのである。しかしまた本体界の意志を無差別、渾一体のものとして認めた彼はなんとなく私の心の動揺を静めるようにも思われた。かくて最後に残った者は自然を前にしてよく生きたいという一事であった。
 享楽主義者たるをも、イリュウジョンに没頭し得
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