とができない。かかる人から私は真実信心について何事をも聴こうとは思わない。
一、文士は自分の衣食の方法を常に気にかけていたいものである。いな、いなければならない。人間はいかなる方法でパンを得るが最も正しいのであろうか。世襲の財産によって衣食するのはそのままでは(もっと他の深い心持ちにならなくては)間違いだろう。商業を営むのも、何かの職業につくのもおそらくそのままでは正しくあるまい。原稿料で衣食するのもそのままでは正しくないかもしれない。(死んだ綱島梁川《つなしまりょうせん》氏は死ぬまでそれを気にかけていたそうだ)。その点については西田天香氏はじつに深い実践的研究をしている。氏は釈迦や耶蘇の選んだ方法のみ正しいパンの得方だという。氏はそれを仏飯を食うて生きるという。神に養われて生きる。パンを神にデペンドする方法のみ正しいという。真の乞食、托鉢の方法のみ正しいという。(釈迦と耶蘇はそれを実行した)。私が今これをいうのは早すぎる。(私は世襲財産で生活している。しかも病気ばかりして他人に重荷を負わしている)。しかし私はこれを非常に重大な問題と思っている。そして今の文壇のある派の人々にはことに
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