ナあって、われらの生活の実行的意識の理想から対象物を眺めたる部分的、方法的なる物の外面的の知識系統であって、物そのものの内面的なる会得ではない。ここにおいて氏の認識は科学者の分析的理解力よりも、詩人の直観的創作力に著しく接近してきて、われらをして科学的真理の価値の過重からきたる器械的見方の迷妄より免れしめ、新しくて、不思議の光に潤うたる瞳をもって自然と人生とを眺めしめるのである。

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 ハイネは静夜の星を仰いで蒼空に於ける金の鋲《びやう》と言つたが、天文学者はこれを詩人の囈言《うはごと》として一笑に付するであらうが、星の真相はかへつてこの一句の中に現はれてゐるかも知れない。(善の研究――二の三)
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 氏の知的直観はじつに認識作用の極致であって、氏の哲学の最も光彩ある部分である。
 つぎにわれらは氏とプラグマチズムとの関係を考えてみなければならない。氏の認識論の経験を重んじ、純粋なる経験のほかには絶対的に何ものをも認めない点においてはプラグマチズムの出発点と同一である。氏のいわゆる純粋経験はプラグマチズムの主唱者であるゼームスの pure experience の和訳である。そのゼームスが自己の認識論の立脚点をプラグマチズムと名づけたのはピアースの用語を踏襲したのであって、それまでは Radical empiricism と呼んだのである。その意味は経験のほか何ものをも仮定せずというにある。してみれば西田氏の認識論の出発点はプラグマチズムであるといっても差支えはあるまい。しかしながらこれをもってただちに氏をプラグマチストと解釈するならば大なる誤解である。少なくとも田中王堂氏がプラグマチストであるがごとき意味において、西田氏はけっして単なるプラグマチストではない。氏は認識論の出発点としてはプラグマチズムの純粋経験を採るにもかかわらず、真理の解釈に関してはプラグマチズムと背を合わせたるがごとき態度を持している。すなわちプラグマチズムは真理の解釈に関して著しく主観的態度をとり、真理の標準は有用であり、実際的効果であり、われらの主観的要求がすなわち客観的事実であるというのである。しかるに西田氏は真理の解釈に対して厳密に客観的態度をとり、主観の混淆を避け、主観的要求によりて色づけらるる意味を斥《しりぞ》けて、純粋に事実そのままの認識をもって真理とするのである。プラグマチズムの真理は氏より見れば一つの実行的理想を立てて、これに適合するように対象物を一の特定の方面より眺めたる相対的真理にすぎない。いまだ物そのものの最深なる真相ではないのである。最深の真理はわれらが実行的目的より離れて、純粋に事実に即し、物そのものと一致して得る会得である。ショウペンハウエルのいわゆる「意志を離れたる純粋認識の主観」となって、事物の内実本性を直観するのである。さればとて氏は主観を離れて真理の客観的実在性を説くのではもちろんない。氏は真理に対して主観と客観とを超越せる絶対的実在性を要求するのである。

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 我々が物の真相を知るといふのは自己の妄想臆断《まうさうおくだん》即ちいはゆる主観的のものを消磨し尽し物の真相に一致した時始めて之《これ》を能《よ》くするのである。我々は客観的になればなるだけ物の真相をますます能く知る事が出来る。(善の研究――四の五)
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 と論じているのを見ても、また認識論者としてのポアンカレを論じて、真理が単に主観的なコンベンショナルな、学者が人工的に作為したるもので、単に便利なものとはいえない、真理は経験的事実に基づいたものであることを主張しその論文の末段に、

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 ポアンカレは単に有用なるものは真理であるとか、思惟《しゐ》の経済といふやうなことで満足し得るプラグマチストたるにはあまりに鋭き頭を持つてゐた。氏は何物も自己の主観的独断を加へない。種々の科学的知識を解剖台上に持来《もちきた》つて、明らかに物そのものを解剖して見せたのである。(芸文――十月号)
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 と評しているのを見ても氏がみずからをプラグマチズムに対して持する態度を知るにはあまりあるであろう。プラグマチズムは敬虔にして、情趣|濃《こま》やかなる人々の歩むにはあまりに平浅な道である。西田氏がプラグマチズムに発しながら、プラグマチズムに終わらなかったのは、その原因を氏の個性の上に帰せねばなるまい。氏はもののあわれを知るロマンチストである。その歩む道には青草と泉とがなければならなかった。蒼い空を仰いでは群星の統一に打たれ、淋しい深い北国の海を眺めて、無量の哀調を聞くことを忘れざる西田氏は、ベルグソンの神秘とヘーゲルの深遠とを慕うて、その哲学体系
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